小啄木鳥のヒナ

朝から巣のそばに近寄ると、小さい声でヒナが鳴いていた。
2、3羽いそうな感じ。
残念ながら、ヤマガラのときのようにはいかない。
丸い穴の底にいるわけだから。
よく見ていると、
親鳥が虫をくわえて戻ってくる。
ペアで行っているようだが、
区別はできない。

向こう側の木には、古い巣穴が3カ所ほど。
わたしが知らないだけだ。
彼らは、ずっと以前からここら辺りを住まいとし、
生活していたようだ。


6時前にはヤマガラが、
ピーピーと特徴のある声で、
山の方角からやってきて、庭の近くで鳴いている。
おはよう、とでも言わんばかりに、
だいたい同じ時刻にやってくる。
この鳥も、ここら辺りを生活圏に生きているのだろう。


小鳥を見ていると、
忘れかけていた聖書のフレーズが浮かんだ。

それだから、あなたがたに言っておく。
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、
何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。
命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。


空の鳥を見るがよい。
まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。
それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。


あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、
自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。


また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。
野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。
働きもせず、紡ぎもしない。


しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。


きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、
神はこのように装って下さるのなら、
あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。
ああ、信仰の薄い者たちよ。


だから、何を食べようか、何を飲もうか、
あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。


これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。
あなたがたの天の父は、これらのものが、
ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。


まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。


だから、あすのことを思いわずらうな。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。


マタイによる福音書6章25節〜34節