継続

継続は力なり、ということだが、
継続に値する「こと」を、始めること自体が、
意外と難しい。
新たな試みをと考えているのだが、
なかなか踏み出せない。
立ち上げは可能でも、
その継続を考えると、足踏み状態が続く。



五年近く、いまのポジションに。
その立ち上がりは、前職の解雇がきっかけだった。
今回も、そういう状況になりつつある。


自分自身が継続してきたことを考えている。
結局、自分は何をしたいのか、
何をしてきたのか、
何度となく問いかけるが、
いまだに、明確な答えが見いだせない。


それでも、ずっと考え続けていることはあるし、
やり続けていることもある。
こうした継続的な事柄と、
新たに始めようとすることとの関連づけ。
それが、次の一歩となるのだろう。


産みの苦しみ、
出産を経験したことがないので、
その苦しみは、推し量(はか)ることしかできないが、
なんだか胸の中や、頭の中にある、
漠然としたイメージが、
形となって出てこない、もどかしさを感じる。


やがて、生まれてくるであろう「もの」や「こと」。
それを、どうすれば持続可能な「物」や「事」として実現できるのか。
始めた以上は、継続したい。
そのための仕掛けは、
サステイナブルなシステムは、どうあるべきか。


時代が大きく変わり、
これまでの生き方、働き方が、問われている。
なんだか、世の中の事象を、
自分自身が、ひとりで背負(しょ)っているのではと、
錯覚することさえ、ある。


いつものパターンだが、
年を重ねるにつて、
こうした繰り返しにも、少々疲れを感じている。
もうそろそろ、終の棲家的なものが欲しくなる。
これで行こうと思える仕掛けを、だ。


キャリアは、轍(わだち)と理解している。
これまで自分が通ってきた轍を、振り返り、
どこへ行こうとしていたのか、目的地を再確認。
その道筋は適切だったのか、
必要な条件は、そろっているのか、
これから通る道は、最適なのか...、
そうした問いかけを始めている。


歩んでみなければ、わからない。
轍は、車が通った跡だ。
行ってみなければわからない、
やってみなければ、わからない。
人生、最後は、選択し、実践するしかない。


日々向き合う相談者の人生と、
自分の人生が、かけ算になって、
ときどき、視界不良に陥る。
いまは、そういう時なんだろう。


羅針盤と地図を見つめつつ、
人も自分も、しっかりナビゲートする。
そのためのマイルストーンになりきること。
これも、自分が目標としていることの一つ。


嵐の時は、静かに動かず、
通り過ぎるのを待つ。
やがて、秋晴れのすがすがしい季節が来るはずだから。