自然治癒力

いつごろからだろう。
自分の感覚より、人の意見や検査結果などを信じるようになったのは。
食べ物を数値化し、一日の行動も数値化。
さらに、自分自身の体重から、体脂肪率といったものまで。
血圧、血糖値...
あげれば切りがない。
そうした数値を見ながら、聞きながら、
自分は健康なのか、どこか悪いのか、
三者のコメントを待っている。
医者と称される権威在る人の言葉は、
ほとんど神に近いほど絶対性をもって下ってくる。
ひとびとは、有り難く受け取り、
その指示に素直に従う。


自分の体を健康に保つということが、
なぜ、自分自身でできないのだろう。
自分の体なのに、なぜ、人に尋ねないとわからないのだろう。
自然界を見ていると、
医者も看護師も存在しないのに、
それぞれの生き物は、滅多なことで病気にならないような気がする。
気がする、というのは、
そういうことを調べ、発表した例をしらないからだが。


木を見ていると、風や雷あるいは人間などによりもぎ取られた幹や枝は、
バランスよく蘇生し、見事な形状に復活する。
楠や杉など、100年、1000年と生きている姿は圧巻だ。
でっかい節がそこら中にあるが、堂々と生きている。
毎年、決まった時期に、芽吹き、枝を伸ばし、花をつけ、実を結ぶ。
その営みは、自然であり、急がず、焦らず、悠々としている。
切られても、若芽がでて、やがて大きな幹になる。


ひとはこうした自然界の生き物より優れていると信じている。
とすれば、自分自身の生涯を、自分自身で処することが、
できて当然だと思うのだが。
なぜ、ひとは自分の事を、他の人に依存したがるのだろう。
自分で、なぜ、自分の体に責任を持とうとしないのだろう。
とても不思議に思うのだが。