始めよう

原口総務大臣Twitterで、マザーの言葉を知った。
以下は、ネットから。

人は不合理、非論理、利己的です
  気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、利己的な思いでそれをしたと思われるでしょう
  気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に会うでしょう
  気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
  気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
  気にすることなく、正直であり誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
  気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
  気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
  気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはずです

結局は、全てあなたと内なる神との間のことで
  あなたと他の人との間であったことは一度も無かったのです

              マザー・テレサ   

いまの自分の気持ちが共鳴したのだろう。
この数日、することがなく、ひたすらそのままの状態が続いていた。
そろそろ限界だ。
「在る」ことのみで、居続けることの困難さを感じる。
自分の性格なのだろうか。
悟りきれない今生(こんじょう)の身だからだろうか。


このまま、毎日が淡々と続くことに、飽きてきた。
やはり、何かをするということを選択したくなる。
何もしないで、ただ起こることだけを待つのは嫌だ。
何かしら、やっていたい。
何かをしたい、という想いが大きくなる。
なにもしないことを、ずっと考えてきた。
しかし、そろそろ動きたくなっている。


Doingしながら、Beingを考えたい。
ただBeingのみに集中することは、耐え難い。
それが自分が持って生まれた性格なのかもしれない。
ふたたび、何某(なにがし)かの事をなしたいと考える。

人間は臆病で弁解がましい。
もはや高潔ではなく、
「私はこう思う」とか
「私はこうである」ということができず、
聖人や賢者たちの言葉を引用してばかりいる。
彼は草の葉や咲き誇るバラの前で恥じ入るのだ。
私の窓の下に咲くバラは、
昔のバラやもっと美しいバラにいちいちこだわらない。
彼らは彼ら自身として咲いているのであり、
今日ここに、神と共にあるのだ。
  「自己信頼」(Self-Reliance) ヘウレーカ!!