改めて「信」を問う

「信なくして立たず」が基本だと思っている。
明日はどうなるかわからないのが人生だ。
すべての事が、不確定だ。
人が、組織が、社会が、すべて変わる。


その中で、人はブレる。
ブレる自分であるから、揺るがない自分を求める。
なぜなら、「信」を得るためである。
揺れる自分であるから、
信じるに足る人になろうと努める。
その姿に、人は安心感をもつ。

 首相だけでなく、誰でも心中、脳中は迷いがある。“揺らぎ”がある。しかし、確信を持てないときは表に出さない。心の中の揺らぎは人に迷惑をかけないが、表に出せば迷惑がかかるからだ。
 鳩山首相にも揺らぎがあってもよい。あるのは当然だ。だが表に出した発言、決断に揺らぎがあってはならない。彼は「民主主義」を持ち出したが、言葉が信用できなければ民主主義が成り立つはずがない。それこそ民主主義の本質だ。
 → 鳩山首相「発言のブレ」正当化に疑問を呈す



リーダーの資質は、道を示すことだと思う。
後から着いてくるものへ、進むべき道を示すこと。
安心して、安全に歩いていける道を。
そのためには、目標が明確になり、
その道筋が、はっきりとわかることが重要だ。


その先導役がいない。
皆が右往左往している。
あれはダメ、これはムダ、それはウソ。
そして自ら「揺らいでいる」と。
では、後から続くものはどうすればいいのだろう。
多くのひとが、次の一歩を踏み出しあぐねている。
この人たちの言うとおりに進んで良いのだろうか。
疑心暗鬼の雲が、大きく列島を覆っている。


道は決まっていない。
道は多くが通って道になる。
道は一歩を踏み出さないと始まらない。
目標を決め、そこに向かって進む一歩だ。
不安があっては進めない。
勇気を持って、踏み出すしかない。
信じて、進むしかない。


歩み続けて振り返ったとき、
その跡を人が歩んで来ていれば、道ができる。
国が、政治がその先導を出来ないとすれば、
意識あるひとが、自らの一歩を、
勇気を持って踏み出すしかないのだろう。
われわれは自らを信じて歩む以外に、
道がなくなったようだ。
誰も期待せず、ただ自分を信じ、
その自分を超えた大いなる存在を信じて、
歩み出すときなのかもしれない。