選択と集中

どうやら経営戦略などで使われるビジネス用語らしいが、
ここでは普通の意味で、選択することと集中することを考えたい。
限られた人生にあって、これでもか、これでもかと情報が溢れる。

知らない、わからない、詳しく知りたいと、
知的好奇心は拡がり、さらに深まろうとする。
インターネットはその欲望を限りなく拡大させてきた。
日本語から英語、はたまた中国語へと、
言語を拡大させれば、さらに拡がっていく。


家の中は書店を彷徨ったときの書籍で溢れ、
アマゾンなどのネット書籍販売システムが、
ボタン一つで数日後に読みたい書籍を届けてくれる。
パソコンはあらゆる情報をデジタル化し、
家の中に収まりきれないほどの書籍をストックできる。
ソーシャルネットワークを通じて、
その道の専門家からは、これまでになかったような情報が飛び込む。
まとめて、記録し、保存する。
いつかきっと役に立つに違いないと思いつつ。


「色即是空、空即是色」という言葉を思い出した。
すべては「空」とみる考え方だ。
空っぽになるから、すべてが見える。
選択を超えて、まったく「無」に徹する生き方だ。

一方では、こうした考え方を支持しつつ、
現実は多くのモノで囲まれている。
無になるには、捨てなければならない。
すべてを捨てられれば、これほど幸いはない。
だが、いまだに捨てる勇気の持ち合わせは少ない。
未練があり、思い出があり、ついつい立ち止まる。


だからこそ、選ぶことが必要なのだろう。
すべてを捨てきれないから、選択が必要になる。
集中は、その後の作業だ。
本来は「無」に集中するべきだ。
「空」の世界を追い求めるべきだ。
それを修行と思い、禅を組んでいるのだが、
このときでもなかなか集中できない。
煩悩というか、雑念がいつも瞑想ならぬ、迷走している。


まず捨てること。
選択肢を少なくし、空の世界を目指しつつ、
集中を高めること。
自分がどう在るのか。
自分は何者か。
最後は、ここに至るのだが。
この連休は、だいぶ整理ができた。
これをきっかけに、もっと捨てて、さらなる集中を目指したいと思う。
なんとなく、心地よい疲れを感じつつ。