仕事の道具としてのコンピュータ

放っておいたMacのデスクトップを整理した。
この数年、作成書類が極めて少ないことに気がついた。
仕事を変わったこともあるが、ほどんど独立した文書が存在しない。

かってはブログへの書き込み、
最近ではTwitterへの投稿。
一日の流れは、メールのチェック、Twitterの流し読み、
ブラウザで主要記事のチェックとなる。
パソコンの利用目的がインターネット中心だ。
閲覧し、コメント、リンク情報などの整理に終始する。
これでは書類作りが減って当然だ。


パソコンの使い方を考えている。
自分自身の仕事の道具としての位置づけだったのが、
インターネットの登場で、仕事なのか、興味なのか、
その境界線がぼけてきたように思う。
仕事でしているのか、趣味の範囲なのか。
極めて曖昧な状況だ。
Twitterへ書き込み始めて、それが顕著になった。
いつでも、どこでもチェックしている。
気になると、そのリンク記事を読む。
そして、リツイートし、ブログでコメントする。


気がつけば評論家もどきになっている。
新しい製品を追っかけたり、
使い勝手を確かめたり、
雇用状況の現状を憂い、
現政権の施策を批判したりと、
その時々のネット記事で右往左往している。
パソコンがいつの間にかネットブラウザーのように、
生産活動の道具から、
情報収集のための道具に変わっている。


このこと自体、まずいことではないが、
当初の目的からはずれていることだけは確かだ。
コンピュータは知的生産物を生み出すための道具。
情報を処理するための道具であったはず。
それが、いつしか情報収集のための道具になっている。
似て非なるものだ。
情報を集め、整理し、あらたな価値を生み出す。
これこそが、コンピュータを使う目的。
情報を処理してナンボの話だ。



ここにiPadの意義を見いだす。
iPadにより、情報収集と情報処理を明確に分けられるだろう。
iMacはデジタルハブとして、情報を加工、保存するマシン。
その情報を持ち出したり、集めたりするのがiPadだ。
このように分担することで、
コンピュータが情報を処理するマシンとして定義でき、
自分自身の道具として、活用できる。
インターネットの出現により、
コンピュータの使われ方が大きく変化した。
その変化が、再度訪れようとしている。
インターネット専用端末として、
パネル型のデバイスの出現だ。
HPがPalmを買収したとのニュース
iPhoneAndroidにつづくWebOS獲得の動きだ。


インターネット端末としてネットブックが登場。
そしてiPadがその使命を引き継ごうとしている。
パソコンは密かに、
インターネットブラウザとしての機能を終えようとしている。
パソコンが生き残る道は、
本来の機能である情報処理マシンとして、
デジタルコンテンツ制作に寄与することだろう。
iPadの入手まであと少し。
自分自身のMac Lifeについて点検しつつ、
今後の在り方を再構築する時のようだ。