週刊 Doyoo( no.9 )

職場から離れて1週間だ。
求人、求職といった流れから、距離を置いている。
このまま、仕事がない人が、
いまある仕事(会社)に就いたとしても、
救いがないような気がする。



前回の続きで、つぎのような記事があった。
→ 企業が日本の大学を見限る日
→ 日本の大学教育が崩壊している
いずれも、実感していたものが、
裏付けられた形として受け取った。


国も、企業も、教育も、
システムの機能不全に陥っているのだろう。
小手先の、バグ潰しとパッチ当てでは、
どうにもならない状況だと思う。
Windowsが、バージョンアップするのと似ている。
Office製品群も同等だ。


システムそのものを見直し、
入れ替えなければ、先へは進めない。
それは、もしかしたらこういう事にも繋がるのかも知れない。
→ 福岡県庁ホームページ 世界初のRubyによる革新的な組込みソフト研究開発開始


長男が日本一周の旅に出ている。
毎晩、Skypeで明日のルートを話しながら、
その土地の状況が伝わってくる。
車で寝泊まりしながらの移動だ。
インターネットさえ繋がれば、居場所は問われない。


昨日はお墓の掃除に行ってきた。
親父は80も半ばになり、さすがに元気がない。
バリアフリーのお墓」が、できたそうだ。
言葉の組み合わせが気になる。
お墓って、なんだろう。
年に一回は考えている。


身近なものから、国レベルまで、
あらゆるものが、なぜ、どうしてと考えると、
答えが見つからない。
言葉そのものさえも、定義という不確定な要素を含む。
答えなどないのだから、
最後は、この言葉に集約されるのかも知れない。

空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。
しかし地は永遠に変らない。
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。
風は南に吹き、また転じて、北に向かい、
めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。
川はその出て来た所にまた帰って行く。


すべての事は人をうみ疲れさせる、
人はこれを言いつくすことができない。
目は見ることに飽きることがなく、
耳は聞くことに満足することがない。


先にあったことは、また後にもある、
先になされた事は、また後にもなされる。
日の下には新しいものはない。
「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、
それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。
 (伝道の書1章2〜10節)