「死」について

死とは、どういうことだろう。
自分自身の言葉として納得したい。
死は、自然の営みの中で訪れる。
善悪の対象ではない。
死そのものに、悪という概念はないはずだ。
なぜ、死を恐れ、言葉にすることを忌むのだろう。


母が死んだとき、母の遺骨を抱きながら、
この骨は誰のものかと考えたことがある。
自分の肉体は自分のものと思っているが、
死んでしまうと誰の所有になるのだろう。
死ぬと、人はどうなるのだろう。
何もかも、一切が無くなる?
無くなるとは、どういう状態を言うのだろう。
無くなると認識するのは誰だろう。
死んだ人が、自分は無くなったと思うのだろうか。


「死」を考えることは、「生」を考えること。
死なない状態は、生きている状態だ。
生きるか、死ぬかしか存在しない?
これも難しい問いだ。
宗教ではなく、自分自身の問題として考えている。
何の宗教でも、哲学でも、あるいは他の学問でも良い。
「死」とは、どういう事なのだろう。
他人の死は、その人が自分の意識から消え去った状態。
会おうとしても、物理的に会えない状態。
この解答も、難題だ。
この世的に言えば、心肺停止などで、生命が機能せず、
火葬場で焼かれ、葬儀が済んで、死亡届が出されたとき。
これで、何となく「あの人」は死んだとなる。


わたしの死は、どのように認識されるのだろう。
わたしが死ぬとは、どういう状態になることなのだろう。
そして、生きる、わたしが生きるということは。