「無」について

無ということは、何もないということではない。
ニュートラルということだ。
S極とN極の磁石のその中間点ということ。
それは存在するが、特定できない。
「有る」けれども「無い」ということだ。
プラスとマイナスも同様だ。プラスとマイナスが調和したとき無になる。
高いと低いが調和した状態も無だ。
そして「無」こそが、調和した本来の有るべき姿なのだ。

ニュートラル〜「道(タオ)」の世界だ。
陰陽が調和して太極になる。「一(いち)」の世界だ。
1+1=1になる世界だ。
究極は「一」になり、
「一」はそれだけしか存在しないから「無」であり、
「無限」となる。
それしか存在しないということは、
「有」であり「無」であり、「一」であり「全て」である。
こうした境地に至ることが「悟り」となる。
「色即是空、空即是色」へとつながる。


自分の感情をあるがままに見つめる。
善悪、好悪、愛憎といった価値観を側に置いて、
「いま、ここに」ある感情を、気持ちを、そのまま見つめる。
観察者として、じっとその気持ちを見つめると、その思いが消える。
湿ったところに、太陽がそっとあたると乾燥するように。
あるものは乾き、あるものは湿り、あるものは消え、あるものは出現する。
いずれにせよ本来の有るべき姿に戻ってくる。
悲しい、悔しい、辛い、苦しい、嫌、だるいといった気持ちを、
じっと見つめていると、中和されてくる。
これを癒しとか和(なご)みとかいうのだろうか。
絡まった感情がほどける(仏〜ほとけ)瞬間。
いずれにせよ、自分が持つ感情をじっと観察し、それを肯定し、受容する。
そうすることで自我が満たされ、その奥にある潜在意識が現れる。
その潜在意識はハイヤーセルフとか称されている。
自分自身の中に潜んでいる意識。
自我で覆われた潜在意識を目覚めさせるには、
自分の気持ちをニュートラルにすることが必要。


禅、呼吸法、ヨガといったこれまでの修行法は、
こうしたことを悟る手段だったようだ。
長い年月をかけ、多くの先人により考えだされた修行法。
いかに真実の自分(真我)に出会えるか。自我を超えた真我との出会い。
それには自分の「いま、ここに」有る感情と付き合いながら、
いかにニュートラルの境地に至るかがポイントのようだ。
これはカウンセリングの考えとも共通する。
自分の外の世界を鏡として、自分自身を見つめ、観察する。
その中から、真の自分を見いだす営み。それを修行と呼んでいた。
マイナスもプラスもない。それぞれが最終的にはニュートラルになる世界だ。