キャリアは「道」だ

キャリアとは「車の轍(わだち)」とあった。
自分の足跡と考えてもいい。
しかし、それは後ろを振り向いたときに確認できるもの。
自分の前に存在するものではない。
「これまでの自分がなしたこと」という意味でキャリアだが、
「これから自分が歩むべき」と考えると、少し説得力に欠ける。
特に若者に話すとき、それは車の轍だよといっても、ピンとこないだろう。
少ない人生の歩みを振り返っても、これから先の歩みはみえてこない。

ではキャリアって何だろうと考えると、「道(みち)」ということに。
これから歩むべき、進むべき道の方向を考えることが、
キャリアを考えるということにつながると気がついた。
ここにも「道」がある。
この「道」は「道(タオ)」とは意味が少し異なる。


「道(みち)」をキャリアとすれば、これは万人が通るもの。
万人がその道筋を考えなければならないし、
その行き先を明確にしなければ、先へは進めない。
同じところをグルグルと回るだけになったり、
別な方向に一生懸命走っていったり。
あげくのはてに疲れはて、そこに座り込む。
その足跡を見ながら、キャリアを考えるのも確かにありだが。

しばらくキャリア=道ということで、考えてみよう。
そこには道標が必要になるし、季節や環境、時代も影響する。
さらに一緒に歩む人々も出てくる。
そうして自分自身として、どのような道を廻り、どこに行くのか。
こうしたことを考えることが、キャリア形成に必要なことなのでは。