パーソナルなコンピュータ

パソコン〜個人が使う(パーソナルな)情報処理マシンというのが、
アップル社のジョブスが考えたコンセプトだ。
個人の力をエンパワーするための機械だ。
個人の力をエンパワーし、企業の利益を生み出すマシンとしたのが、
MSのゲイツ氏であり、Windowsという化け物だ。
こういう図式でみると、
なぜコンピュータとつき合うのが嫌になったのかがわかる。
おおよそWin上での作業は、個人より企業優先が多い。
個人の考えより、企業、組織の利益が優先ということに。

規則をガチガチにはめられ、そのためのパーツを作り続ける。
たしかにパーソナルなマシンではあるが、
それは個人をエンパワーするより、
企業の力を増強するためのマシンと化している。
奇しくも、IBM〜International Business Machineと化している。
むかしIBM、いまMSという図式だ。


いまの閉塞状況は救いようがない。
MSとWinがもたらしたものは、個人のエンパワーメントより、
個人の、企業へのさらなる隷属化だ。
企業や組織から、自由になり、
個人の力を思いっきり発揮する。
パーソナルコンピュータの再定義が必要になる。


インターネットも同じような状況が生まれつつある。
HTMLから始まった個人の情報発信ツールが、
巨大な組織のパワーで、押しつぶされかねない状況だ。
個人がHPを立ち上げ、運営するには、結構難しい状況に。
たしかに技術の進歩だが、それ自体が複雑になり、
個人の道具として、使い方がいまひとつはっきりしない。

パソコンと出会ったとき、インターネットを使い始めたとき、
それぞれに自分自身の思いがあったはずだ。
少なくとも、人に教えることが目的で、使い始めたわけではない。
自分自身の何かを表現したくて、使い始めたはずだ。
最初にあったのは「何」だろう。
自分は「何」であろうとして、
パソコンやインターネットを使い始めたのだろう。
この問いかけが、改めて必要になる。