働くこと

懐かしい記事と出会った。
かって、アメリカで放浪していたときにこの映画をみた。
字幕に日本語はないので、
意味はそれほどわからなかったが、
その意図する内容は理解できた。
飛ぶ、高く飛ぶ、かもめは高く飛ぶことが生き甲斐なのだ。
こういった内容の独白をしつつ、
一羽、孤高のなかで大空を舞う。
なんとなく、自分の生き様を考えながら、
ダブらせながら、見た記憶がある。

「重要なのは食べることよりも、飛ぶことだ」――。1羽のかもめジョナサンが、生きることの意味を探究する物語が『かもめのジョナサン』。米国の小説家リチャード・バックが1970年に発表し、ヒッピー達の口コミから広がり、全米で1500万部のベストセラーになった。
→ 『かもめのジョナサン』――働くことの意義を見直す



そして、次の記事が。
相談していても、こうして育てられた若者がやってくる。
自分を知らず、
親からも知られず、
なんとなく空気のように生きている。
客観的に自分を見つめ、
自分のポジションを理解できない。
つまり、自分で「考えない」若者だ。

 進活、就活、婚活…親が出しゃばれば子どもが引っ込む

これが世の中の道理だと思うのですが、どうなんでしょうか。親の心子知らず、とは昔から言われることですが、最近はそんなことに構わず、親がどんどん積極的になっているわけです。とにかく親の干渉から逃れたかった私の時代とは明らかに違いすぎて、戸惑うばかりです。
→ 考えない若者を生んでいるのは誰なのか

わたしの人生は親からの逃亡だった。
生きるために働く。働くことが人生だ。
戦後を生き抜いた親たちが共通にいだく感情。
そのしがらみを必死で切り離し、
自分の人生を、生き甲斐を求めてひたすら歩いていた。
だから考えた。
生きるとは、人間とは、人生とは何かを。
いまでも答えが見つからない。
それでも考えている。
そういう生き方をしてきたものにとって、
おおよそ理解できない若者たちだ。


これはジョナサンの問いかけと共通する。
人生は車の轍(わだち)という。
振り返ってみたとき、
でこぼこ道には、くっきりと2本の線が描かれている。
その線の最先端で立ち止まり、
これからどういう線を描こうかと...


親や教師から、
右だ、左だと言い聞かされて、
文字通り右往左往の繰り返し。
自分の人生とまったく異なる歩みだけに、
別の意味で興味が尽きない。
この先、日本の若者はどうなっていくのだろう。