何もしない

BeingとDoingの違いだ。
「在る」ことと「する」ことの違い。
どう在るかを考える前に、何をするかを考えている。
何もしないと不安になる。そこで、何かをする。
どう在るかではなく、何をするか。
そして何をしたかで結果を求める。

どう「在る」かで、何を選ぶかがきまる。
何を選んだかで、何をするかがきまるはずだが、
実際はそこまで意識することなく、無意識に選び、演じている。


何もしないと不安になる。
何かをしていても、結果が不安になる。
昨日何をしたのだろうと考える。
今日何をしようかと考える。
何か特別なこと、書き記すことがないと不安になる。
無意識に何かをしていることの結果だ。
無意識に選び、無意識に動き、その結果をみて落ち込む。
こうした循環の中に生きている。


学ぶ必要はない、思い出すだけだとあった。
すべて知っており、それを思い出すための時間がいる。
それは外にあるのではなく、内側にある。
まず「在る」ことに意識を向け、
そこから「ある」ものを選ぶ。
この作業が、「悟り」へ通ずる道のようだ。
自分は何者か。どういう存在として「在る」のかだ。
何をするか考える前に、どう「在る」べきかを考えること。
I am that I am.
これは聖書にある神の存在を表す言葉。
「自分が自分であること」
それが「在る」ということ。
そこから「何をする」かという行為が出てくる。


人は Human Being であって、
決して Human Doing ではない。
無為自然」とは、
Doing を廃止、Being に徹する営み。
意識しないと、Doingに終始する自我だけが動いている。