「発想の鞄」

またしても、発想の方法論で考えている。
こうしたパソコンによる文章の書き込みは、
いつでも、どこでも対応は難しい。
iPhoneを考えたが、なかなか先へ進まない。
PowerBookを使いながらの書き込みは、まだ可能だ。
しかし、鉛筆と紙で、思いつきを書き出す作業は無理。
いくらマウスをいじくり回しても、思うようには描きづらい。
そこで発想が止まる。
イメージを書き記す作業から、絵をマウスで描く作業へ移行する。
書きづらいのである。
したがって、そこで発想が止まる。
書き込めない内容は、書きとどめておけない。



これまで幾度となく新製品を試した。
かなり馴染んだ機器もあるが、いまだにさまよい続けている。
一体なにをしたいのか。
自分でもわからない。
しかし、新しいデバイスが出るごとに、期待し、いじっている。
Palmもそのデバイスの一つだった。
クリエでは、ペンが使え、イメージを描きやすかったのを覚えている。
iPhoneの指で使える機能には、いまだに関心を持っている。
しかし、画面の狭さには、いまひとつ動けない。
9月にアップル社は、10インチのタブレットMacを出すらしい。
長男と話しながら、待っていたコンセプト通りのマシンだ。
9月に出るよう、かなり期待している。


文字の入力マシンとしてはMacで十分だ。
PBでもMac Bookでも、iMacでも、それなりに満足している。
しかしながら、白紙にイメージを書き込むマシンがないのだ。
思いついたことを、書き殴れるマシンだ。
落書き帳のように使えるマシンが欲しい。
いつでも、どこでも携帯でき、
イデアを、書き置いて、あとから見直せるマシン。
当然インターネット接続が必要だろう。
iMacの画面を、iPhoneライクに使えるマシン。
10インチがどうかは、使ってみないとわからない。
いつでも、どこでも、携帯しながら使えるとなると、
これくらいなのかも知れない。
タッチパネル技術を搭載したiMacの出現だろう。
机において、なぞって使えるマシンだ。


こうしたマシンで、いま直面している課題は解決するのだろうか?
これは疑問だ。
最終的には、紙と鉛筆が残るのかも知れないし、
その選択肢を考えつつある。
もう一度、このもやもやを考えながら、次を目指したい。