中今

面白い言葉に出会った。

なか‐いま【中今】
神道における歴史観の一。
時間の永遠の流れのうちに中心点として存在する今。
単なる時間的な現在ではなく、神代を継承している今。

いま、ここに在るということを表す言葉のようだ。
ネットで検索しても、あまりヒットしない。
神道それも古神道が気になる。
アメリカのインディアン、
北海道のアイヌ、さらに台湾などの原住民の人々、
こうした方たちの考え方にも共通しているような。
自然、あるがままの状態。

やまとの国には、
もしかしたらこれからの人類を導くなにかがあるのかも知れない。


この文章は、ちょうど1年前に非公開ブログで書いた内容だ。
久しぶりに、自分の足跡を振り返った。


給与未払いの職場を11月を限りに退職すると、
責任者に通告したのが去年の今ごろだ。
次への不安は持ちながらも、半年の勤務に終止符を打つ。
次なる道は備えられているはず、と考えながら。


このあと数日後に、いまの職場の求人票を手にすることに。
そして、12月から現職に。
数年前の自分と同じ立場の方々とお話ししながら、
不思議な運命の流れを感じている。


「中今」と再び巡り逢った
忘れていた言葉だ。
改めて、深い言葉だと思った。
永遠の流れの中で、今を見つめる。
そう考えると、違った見方が見えてくる。