創職について

面白い言葉と出会った。
広まるといいと思い、ここに記することに。
知ったのは、このブログ記事。
→ 草食より「創職」はいかが?

わたしの学生時代は、70年安保闘争の時代だ。
69年東大安田講堂が占拠され、全員留年。
信じられない人も多いだろうが、東大の入試が中止となったのである。
東大の卒業生がもっとも少ない学年ということになるだろう。
わたしは、そういう大学を目指す頭ではなかったが、
クラスメートに、浪人して東大を目指した者がいた。
彼がその後、どうなったのかは定かではないが。
わたしが入学した大学は学生によって封鎖され、
学習などできる環境ではなかった。
就職など、サラサラ考えない学生が多かったように記憶する


ブログのところどころで書いているが、
就活といい、企業情報を集め、エントリーシートを書き、
面接の練習を重ね、リクルートスーツに身を包み、
自分を売り込む姿は、おおよそ想像を超えている。
なぜ、そこまでして会社に就職したいのだろう?
これは、いまでも思う疑問の一つだ。


ときは巡って、第2の就職氷河期に突入しそうな気配だ。
さらには、学生の父親がリストラに遭い、
子どもと一緒に就活をしなければならない事態に。
やり直しがきく時代になった、ということにもなるようだ。
 → やり直しがきく時代 「親子就活」を拝読して


記事の発端は、このブログからのようだ。
 → 若者たちの就活は、目の前に敷かれたレールの上を走っているだけなのか
わたしの二人の息子も、就活中だ。
正確には、学校を終え、次のステップへ移行中という事になるが。
かれらは、はじめから就活するという意識はない。
それよりも、自活するための道を探っている、
という表現が適切だろう。
社会で、自分の道を歩む。そのための方法を模索する。
そういう状態だと思う。

相談者と少ない仕事の求人票を見ながら、
ため息混じりに「どうしよう?」と、問いかけることがある。
お互いに、就くべき企業を見つけることができないのである。
就職したい、あるいは就職できる企業がない場合、
どうすればいいのだろうか。
特に難しいのが40歳代のお父さんたちだ。
家庭には、進学を控えた子どもたちが数人。
就職をと、気持ちは焦るが、ふさわしい求人がない。


就活も大事だが、ここまできたら新たな職を創り出さねば、やばいぞ!
そう考えていたときに、この言葉(創職)に出会った。
そうだ、あらたな職業の創出が必要な時代になったのだ。
こう考えない限り、お先真っ暗状態が続くことになる。
かすかな光で良いのだ。
その光が示す方へ歩いていけば、なんとかなる。
そういう希望の光を、多くの人が求めている。


先ごろ、国が示した緊急雇用創造プログラムは、
まさに暗闇に照らす一条の光となって、相談者へのかすかな望みとなっている。
国だけではない、わたしたちも真剣に、
これからのあるべき日本の姿を考え、そこで働く人々が、
どういう職でもって、生業(なりわい)を立てるのか、考えるときだろう。
ひとりひとりが、働くことの意義を、さらには生きることの意義を
しっかり考えなければならない時代だと思うのだが。