年末に思う

「情報耕房」への書き込みが止まっている。
次への踏み出しというか、方向性がすこしぼやけている。
この数日、「貧乏入門」という本を読みながら考えている。

まずは持てるものを捨てることから始まる。
そう思い、書籍や書類を廃棄している。
しかし、それらのタイトルや中身を見ると、止まってしまう。
それぞれが「ノイズ」となって、考えの方向がぶれる。
捨てようか、取っておこうか。
すべてを、いま処分できると、かなりスッキリするのだろうが。


何度となく繰り返してきた。
捨てたと思っていても、一年経つと、別の何かを取り込んでいる。
本当に必要なものって、あるのだろうか。
理由をつけると切りがないが、
最後は何も持って行けない。
すべての所有するものは、無に帰する。
わかってはいるのだが、気持ちがついて行かない。


余分なものが多いと、それだけ心にノイズとして反映する。
心は、そのノイズを処理しようと努力する。
目で見る、耳で聞く。
手で触る、鼻で嗅ぐ...
こうした五官を総動員して、データを取り込み、
モリーとして蓄え、
必死で情報処理をしている。


瞑想は、こうしたノイズを遮断し、
心を一点に集中し、精神の統一を目指すもの。
自分という存在を、
いま、ここで見つめ、
自分自身の有り様を考える。
そうすることで、見えないものが見えてくる。
「色即是空」であり、「空即是色」の世界だ。
在る、と思ったものが無くなって、
無い、と思っていたものが見えてくる。


ノイズが多いということは、
正しく観ることができないということ。
自分を見つめ、
自分のあるべき姿を思う。
そのためには、もっと雑情報を減らすこと。
自分の心の波立ちを鎮め、
心の平静をもたらすために、もっと捨てること。
さすがに、今日すべてを捨てることは困難だが、
次年度のいまごろまでには、なんとかスッキリしたい。
これを新しい年を向かえるに当たっての抱負にしよう。


「貧乏入門」より気になった箇所をメモっておく。

1章 持ち物を減らす
持ち物を減らすとは、まず、いま持っている物を手放すこと、すなわち、捨てること
よけいなことにメモリーを使われている分、思考は、霧がかかったように明晰ではなくなる
ほんの短い間に、心は自分でも意識できないほどの大量のことを考え、処理し自分でもわからないレベルで、所有物に心を奪われ、そのことが私たちの明晰な思考を妨げる
思考の中にノイズが増えていき、メモリーが無駄に使われる結果、思考に霧がかかったようになっていってしまう


所有することの苦痛を感じているけれど、捨てたり持たないようにしたりするところへはなかなかいけない、だからこそ、その前の段階として整理整頓したいという気持ちが自然におこる


ただありのままの自分自身を自分で認めるのは、非常にむずかしい
とても不安、そこで、持ち物によって、それを支えようとする
心が安定していない人ほど、所有しなければならないものが多くなる


「もったいないから捨てない」ことによって、自分は物を大切にしているすばらしい人間だと思いこむ
ほんとうは捨てたほうが心がスッキリするにもかかわらず、自分の心のノイズになるだけの無駄なものを、もったいないから捨てないでおこう、と自分を騙している


でも、捨てられないので、見えなければいいと、押し入れのより奥に押しやってしまう
いつか使うかも知れない物を持っていることのリスクは、心のノイズが増えるということ
心のノイズが増えると、乱暴で落ち着かない精神性へ近づく


<以下、今後まとめる予定>


2章 なぜお金を求めるのか?


3章 ほんとうの幸福、まやかしの幸福


4章 幸福になるお金の使い方


「貧乏入門 〜あるいは幸福になるお金の使い方」小池 龍之介著