新たな年にむけて

例年になく寒すぎる新年の始まり。
炬燵(コタツ)から出ることができず、
一日、ダラダラと過ごす。
毎年のことだが、元旦の過ごし方で考える。
この数年、テレビを見る時間が多い。
日頃、ほとんど見ないので、一年分(?)を見ておこう、
そういう気持ちが、どこかにあるのだろう。

世の中の流行(はやり)に、なんとか着いていきたい。
今時の人々の考えを知りたい。
明確に意識しているわけではないが、
そうした考えがあるようだ。


年賀状も同じ。
この数年、どうしようかと考える。
昨年も、同じようなことを書いている
今年も、その考えにあまり大差はない。
出さなかったら相手に失礼になるのでは。
出さないことで、どういう不利益があるのかな、とか。
それほど大きな問題ではないと思いつつ、
今年も、未解決のままに。


正月早々、86歳になった父が寝込んでいた。
年末の恒例行事をこなすため、無理をしたようだ。
言っても聞かないので、好きなようにさせているが、
さすがに、この数年は衰えが目立つ。
いずれは帰って行くわけで、
その経緯を、見守る以外になすすべはない。
あるがままに、流れていくだけだ。
それでも、そろそろ世代交代が現実味を帯びたと感じる。
覚悟を迫られた。


友人の奥さんが、脳出血で倒れ入院。
友人は中国の奥地の大学で、日本語の講師。
海外赴任が多く、日本の社会に基盤を築けないまま、
海外での仕事を選んだ。
二人の娘さんと奥様に囲まれ、
自らの居場所を探せずにいる。
今回の入院を通して、家庭というものを考えるきっかけになればと思う。


長男が戻ってきている。
時間があると、パソコンに向かっている。
自分もと、パソコンに向かうのだが、続かない。
目がショボくなり、考えが散漫になる。
デジタル世代のパワーに対し、オヤジ世代の限界を感じる。
デジタル・ネイティブ」世代の先駆けだ。
新聞や雑誌などアナログな媒体で育ってきた世代と異なり、
デジタルな媒体だけで、まったく問題がない世代だ。
物事の考え方、進め方が当然異なる。
その差異の理解が、これから重要になるだろう。


「情報革命」ということばを考えている。
その革命を担う若者の支援を、どうするか。
改めて、情報処理教育に携わってきた者としての責任を感じる。
コンピューター、インターネットと、それぞれの発展と共に生きてきた。
その融合として、ICTという言葉が誕生。
Information and Communication Technologyの略語で、
情報通信技術と記される。
その最先端が、スマートフォンタブレット型PCだ。
昨年来、出版、放送、通信の業界が黒船到来と大騒ぎ。
今年は、インフラが整い、その変化が現実のものになるだろう。


千載一遇のチャンスがやってくる。
それが「情報革命」だ。
そこまでは分かるのだが、そのチャンスを、
どうやって若者へ知らせ、参加させればいいのか。
次世代を担う若者達へ、こうしたチャンスを伝える。
それこそが、これからのキャリアカウンセラーとしての、
職業相談にも繋がると考えている。
情報革命を、いかに自分のキャリアとして生かせるか。
そこに参加し、新しい世の中を創り出していく、
そのために、なんらかの役割を担いたい。
そういう思いなのだが。


毎年、とりあえず新年に考える。
今年は、具体的に一歩を踏み出す年にしたい。
子供たちが、その方向を見いだし、新たなに歩みだし、
遅々としてではあるが、数歩は進んだ。
わたしとわたし達、それぞれが次を考えている。
与えられた個性、環境、時代を、
思いっきり活かして、生きていきたい。
誰もが、必ずや与えられた命を使うことができる。
それが使命であり、天職ということになるのだろう。
あと数日で仕事始め。
それまでに、今年の生き方を決めることにしたい。