地球の軋み

地震、大津波、そして原発事故。
いつも通り、土曜日にアップする予定だったが、
刻々と変わる被災状況を、テレビ報道を見ながら、
ネット情報で確認などしていて、一日が終わった。



想像を絶する被害の光景を目の当たりにし、
自然の脅威に、まさしく驚異を感じた。
押し寄せる津波
車が、まるで木の葉が舞うように弄(もてあそ)ばれ、
家さえ土台ごと押し流す。
その秘められたエネルギーを、
映像で始めてはっきりと見ることができた。


地震が起こる前と、起こった後で、
明確な意識の変化を感じている。
テレビは、一日中被災状況を流し、
否が応でも、どうする、どうなるといったことを、考えざるを得ない。


自治体そのものが被災。
役場や消防局が消滅。
安否情報の確認、被害状況の把握、支援の体制。
誰が、どこへ、いつ行けばいいのか。
自分ができることな何なのか。


タツの中で、目と手を動かしながら得る情報。
こうした情報を一番必要としているのは、
実際は、画面に映し出される被災者自身なのだ。
そこへ届ける手段がほとんどないもどかしさ、
情報が迅速に、正確に伝わりにくいじれったさを感じていた。


中国にいる友人からは、自宅の状況などの確認メッセージが入り、
Ustreamで日本のテレビ報道が視聴できるURLを知らせたり、
有益と思われる記事などを投稿したり、
文字通り、テレビとパソコンの前に釘付け。
思考が停止して、何も考えたくないような状態だった。


さまざまな事象が、浮かんでは消えた。
国とは何なのだろう。
自然と人の生(い)き様(ざま)。
地震津波のメカニズム。
電気、水道、ガスなどのライフライン


日頃、当たり前だと思っていたものの突然の消失。
人が、家が、畑が、一瞬にして消えて行く。
その中で、ひとは、あるいは自分はどう在ればいいのだろうか。
自分自身の存在というものについて、これまで以上に考えている。
生きること、生活すること。
当たり前だった日常が、当たり前でなくなり、
自分自身の生き方、意識が、
変わる、いや、変えざるを得ないと感じている。


今回の地震をきっかけに、日本が大きく変わる予感がする。
世界の人々からは、こうした危機的な状況でも、
秩序を保ち、冷静に行動する日本の人々への賞賛が聞こえる。
多くのメッセージを見るたびに、その心意気に目頭が熱くなる。
→ 日本人のモラルに世界が驚く


争っている場合ではない。
皆で、支えあっていこうではないか。
日本が先頭になって、
在るべきひとの生き様を世界に示すことで、
大きな変容が、日本から世界へ拡がる。
そういう使命を感じざるを得ない。


さまざまな方々が、表現は異なっているが、
こうした変容の兆しを語っている。
常々、その意味を考えながら生きている。
今回の大地震、大津波そして原発事故。
もしかしたら、これをきっかけに、
人々の大いなる意識の変容が始まるのかもしれない。


犠牲になられた方々、被災され今も支援を必要とする方々、
さらには、必死になって自らの生命に危険を感じながらも、
未曾有の状況にあって支援されている方々。
さまざまな方々のつながりの中に、わたしも生きている。
その中で、自分ができることを、改めて考えたい。
そして、自分ができることで、自分自身の在りようを確認したい。


"I am that I am."
自分が、自分であること。
自分の立ち位置を確認し、
自分ができることを、
精いっぱいやり通すこと。
あらためて、確認する今日の日としよう。



→ Twitterに投稿された心に残るつぶやき
→ いま、黙っている理由
→ 節電公告
→ YouTube - 東北地方太平洋沖地震 応援
→ 災害時のメンタルケアに付いて - 真花の雑記帳