世代の軋(きし)み

変わっていく時代の中で、世代交代の軋みが起こっている。
奇しくも、20歳前後の若者の事件が多発している。
→ 乗客がハンドル奪い高速バス横転、12人軽傷
→ 京大入試の試験中、問題をネット掲示板に投稿
→ 3歳女児を川に遺棄容疑、大学生逮捕


それぞれの事件が、決して許されるものではない。
起こした当事者は、それ相応の処罰が必要なことは確かだ。
それでも、仕事柄、同世代の若者と話す機会が多い身としては、
なんともいえない辛さ、切なさ、を感じている。


閉塞感が漂う日本社会にあって、
親や学校からは、進学、就活と煽(あお)られ、
学校や企業の門を叩くも、
その扉は固く閉ざされ、受入を拒絶。
たとえ入れたとしても、
古くさい授業や、変わらない仕事の仕方に行き詰まる。


ネット上では、フラットで、自由なつながりを享受し、
夢と希望に燃えながらも、
現実に大きく立ちはだかる企業や学校の壁。
そこに突撃しては、玉砕する。
そうした若者の、どうしようもない心のわだかまりが、
今回のような事件の発端になったように感じた。


iPad 2が発表された。
http://sankei.jp.msn.com/images/news/110303/its11030308420006-p1.jpg
コンセプトは、“ポストPC”ということのようだ。
デスクトップ型のPCが、ノートブック型PCに置き換わり、
そのPCが、iPad 2に置き換わるということらしい。
ノート型のPCが要らなくなる、という訳だ。
周りでも評価が分かれている。
→ iPad 2の評価が二分される理由
→ スマートフォンが産んだ波紋の大きさ
→ iPad 2」を詳細レビュー--新型iPadで何が変わったか(11.04.29)


携帯電話 →ケータイ →スマートフォンの流れと、
同じような印象を受ける。
いずれも若者が原動力となって牽引する流れだ。
40代、50代の人々の戸惑う気持ちが伝わってくる。
自分たちが理解できない機器を、
いとも簡単に使いこなす若者に対し、
どのように向き合えばいいのか。


TwitterFacebookへの反応とも似ている。
理解できないものへの、拒否反応。
今回の不正入試事件でのマスコミの対応は、象徴的だ。
古いメディアと称される、新聞やテレビが、
一個人のカンニング事件を、
これほどまでに大々的に取り上げるとは。
まったくもって、理解できない。
所詮、カンニング〜不正行為に過ぎないのに、
NHKが7時台のニュースで、なぜに10分以上も報道するのか。
それほどまでの大事件だとは、到底思えない。
→ 不正入試とエントリーシートと「orz」な若者たち


若者の苛立ちと、熟年者の不安。
それが入り交じると、こうした現象が起こるのだろう。
世代間の軋みが、露呈した結果のように思える。
若者の突き抜けきれない閉塞意識と、熟年者の追随できない不安意識。
それぞれの意識のぶつかりが、さまざまな社会現象を引き起こす。


こうした軋みは、それぞれが歴史的必然と割り切り、
その流れの中で、自らの立ち位置を理解しつつ、
相手の立場を理解する努力を続けることで、
やがて、落ち着くところへ、落ち着く。
それが道(タオ)、あるがままの自然体であり、
結局は、歴史の流れということになるのだろう。
最後は、ここにたどり着く。