あ・ま・て・ら・す

生(う)まれて、生(い)きる。
生かされて、生きる。
生きることは、死ぬこと。
「生」があるから、死もある。



暗闇が存在の本質ではないように、
死の本来の目的は、生を引き立てること。
死は、生の脇役。


光が存在するので、暗闇がある。
生が存在するので、死がある。


見つめるべきは、暗闇ではなくて光だ。
同様に、
見つめるべきは「死」ではない。
「死」からは、なにも生まれない。
見つめるべきは「生」そのもの。
そう、生きることだ。


わたしたちが考えるべきは、生きること。
生きることは、輝くこと。
太陽のごとく、光を放つこと。


起こったことを悔いても、なにも変わらない。
それは光の影にすぎない。
影をどんなに見つめても、明るさはない。
光を見つめない限り、明るさはない。


死を見つめていても、光はない。
光は、生きる決意から見えてくる。


いつでも、いま、この瞬間に光を放つこと。
それが生きること。
太陽は、ただ光を放つ。
ひたすら輝きつづける。

日(ひ)の本(もと)の国に生まれた、
天照(あまてらす)の子孫として、
これからも、ひたすら光を見つめたい。



昨日、ボーっとしながら浮かんだ言葉。
あまり格好つけたくなかったが、
これといって、今さら書くこともなかったので、
ここに記しておくことに。


いつでも思うことだが、
過去に起こったことは、
反省は必要だが、悔いることは不要。
あくまでも、これからを考えること。
死んだらどうなる、と考えるより、
とにかく生きること。
光となって、暗闇を照らすこと。
そうすれば、影は無くなる。



外部電源に頼るのではなく、
自家発電で、
明るく輝ける自分になれるよう、
前向き、ポジティブに進むこと。
それしかないだろう。
前に、前に、一歩ずつ。
ひとり、ひとりが、一つずつ。
それが、いまの自分ができること。