四年目

何もかもが変わりそうな気配だ。
久しぶりに、失業中に散歩したコースを歩いた。
講師時代も含め10数年勤めた専門学校を、突然解雇され、
ちょうど四年目になる。
失業中の単調な日々、夕方欠かさず通った散歩道。
高台の団地から下り、トンネルをぬけると、全面に海が開ける。

右折し、河口にかかる20メートルくらいの橋を渡る。
春間近とはいえ、吹く風はまだ冷たい。


歩きながら、「これから」を考えていた。
これからの生き方が、
これまでの生き方とくらべて、
大きく変わっていくのだろうと感じている。


ひとは、何のために生きるのか。
そもそも、人生とは何なのか。
もっとも根源的な問いかけが、浮かんでくる。
ひとは、生まれて、死んでいく。
ひとは、死ぬために、生きている。
わかっているのだが、その事実を語らない。


わたしたちが価値があると思っているものは、
ほんとうに価値があるのだろうか。
学歴、職歴、資格、資産そして名誉などなど...。
これが、どれだけの価値をもっているのだろうか。
何のために、人生のほとんどの時間をさいて、
こうしたものを必死に追究するのだろう。


あなたの価値は、どこにあるのですか。
あなたにとって、幸福とは。
あなたにとって、仕事ってなんですか。
数えれば切りがなくこうした問いかけが出てくる。



そして、未曾有の災害を目の前にして、
あっという間に、すべてを失ったひとびとを思うと、
こうした問いかけ自体が、なんの意味を持つのか。
考え込んでしまう。


ケータイでカンニングしたと言って、
大騒ぎしていたのは、どこの国だったのだろう。
あの騒ぎは、何の意味を持つのだろう。
外国籍の人から20数万円の献金を受け、辞任した外相。
これまで、わたしたちが知らされていた社会事象と、
いま、現実に見聞きする事象。
この違いは、何なのか。


ほんとうに大切なものって、何なのだろう。
なんだか、自分自身がよりどころとした土台が、
大きく揺さぶられている。
前回も触れたが、
地震により、自分自身の、自信そのものが大揺れに揺れている。
そういう感覚だ。
こうした感覚が、もう2週間を経過しているにもかかわらず、
いつまでも余震のごとく、
自分のこころを揺らしている。



まとめてもまとまらない。
それが、いまの心象だ。
それはそれとして、そのまま記することにしよう。
答えなど、見つからない。
そもそも、問題の問いかけ自体が分からないのだから。
たぶん、誰ひとり、その問いかけを明確に指摘できる人はいないだろう。
それほど劇的な問いかけだ。
謙虚に、ひたすら内なる自身との対話の中から、
なんらかの答えを見つける。
それしか、いまの自分にはないような気がする。



→  考えることを止めることはできないけれど…
→ YouTube - 加藤登紀子 被災地へのメッセージ 「今どこにいますか」