時間が、ない

スーパーで駐車しようとしていたら、
お婆さんの道を遮る状態になった。
互いに、先へ進めずもたついた。
すると、お婆さんが大きな声で叫んだ。
「時間がないんだよ。」
その迫力に圧倒され、思わず「すみません」と謝った。



それ以降、「時間がない」という言葉が、
頭から離れない。
お金がない、
仕事がない、
ひまがない...
「ない」と結びつく言葉は、たくさんある。
中でも、「時間がない」とは、なんとも不思議な表現だ。


そもそも、時間ってあるのだろうか。
もっと言えば、「時間」てなんなのだろう。
時間があるとか、時間が足りないとか、
日常的によく使うのだが、
あらためて考えると、よくわからない。


時間は、「いま」しかないと聞いた。
「いま」しかない時間に、
あるとか、ないとか、言えるのだろうか。
「いま」を境に、過去という時と、未来と言う時がある。
「いま」しかない時間に対して、
その有無を問うこと自体に、おかしさを感じる。


「いま」の積み重ねが、
昨日、一昨日といった過去のことになり、
「いま」の先に、
明日、明後日があると思っている。
未来は、あくまでも想定だ。
そうなるだろうとか、
こうなって欲しいととかいう想いだ。


時間が、あったり、なかったりすると、
考えるようになったのはいつごろからだろう。
時間って、有る、と考える人には「あり」、
無い、と考える人には「ない」のかもしれない。
かなり主観的な考えだろう。


「時間がない」と考えることはある。
そこで、焦りが生じ、
なんとか、間に合わせるようあがく。
「時間がない」のでできないとか、できなかったとか、
言い訳としてもよく使う。


時間。
誰にでも平等に与えられた時間。
その時間が、時として足りたり、足らなかったり。


時間がない...。
考え込むと、
時間がどんどん過ぎてしまい、
あっという間に、時間がなくなっていく!


時間がなくなる。
そう、少なくともいまの自分はそう感じている。
時間がなくなる。
なくなる時間を与えたのは誰かな。
そもそも、「時間」を作ったのは、誰?
また、深みにはまってしまった。