「脱」の思想

反対するのではなく、脱(だっ)すること。
もろもろの事象に対し、反対することは簡単だ。
単に、その事象、その人の言っていることの反対を言えば済む。
必要なのは、問題の解決であって、
好ましくない状態、境遇などからぬけ出すことだ。



キーワードは、「脱」。
「脱」原発
福島の原発事故以来、こころが揺れている。
原発に対し、どういう姿勢を取るべきか。
必要か否かと考えると、答えが出ない。
必要悪とするのか。


こうした中、「脱原発」ということばと出会った
原発を必要としない社会の実現。
代替エネルギーによる、新たなインフラの整備。
そうした意志を持つことばとして、
脱原発をとらえることができた。


戦争反対ではなく、脱戦争。
原爆反対ではなく、脱原爆。
そのことばの奥には、
戦争を廃し、原爆を廃し、
新たな枠組みを構築したい、構築しようという、
意志が込められている。


被爆地に生まれ、
いわゆる被爆二世として生きている。
小学生の時から「原爆許すまじ」と教わった。
ずっと、言葉にはできなかったが、
原爆反対の連呼には違和感があった。
今回の反原発も同じような心境で、
積極的に発言も、行動もできないでいた。


このままで良いわけはない。
だからといって、何ができるわけでもない。
そういう思いで時を過ごした。


脱原発、いわゆる「ポスト原発」ということだと解している。
「ポスト原発」と言い換えることで、
その目指すところが、さらに明確になる。
「ポスト○○」という表現。
言い得て妙だ。
現状を全否定するのではなく、
さりげなくダメ出ししながら、次のステップを提示。


アップル社が提唱する「ポストPC」ともかぶる。
現状を肯定しながらも、
さらなる良きものを目指す姿勢。
それが「脱」の思想なのだろ。
蝶がサナギから脱皮するように、
次へと飛翔するための「脱」。


現状を超えて、さらなる高みを目指す。
新たな意識の飛躍が、
「脱」の思想としてあるのではないだろうか。


脱学校、脱大学、脱教育。
脱政治、脱政党、脱官僚
脱企業、脱就職、脱お金。
脱依存、脱援助、脱介護...。
慣例を「断つ」ことで、自ら「立つ」ことを目指す。
あらゆることを脱することで、
見えてくる新天地。
これからの社会の方向を示すキーワードの一つと思った。



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