脱ニッポン

予報よりすこし早く梅雨が明けたようだ。
陽射しはあるが、雲がかかって、すっきりしない。
世の中を取り巻く閉塞感のように。



もう日本はダメですね。
そういいながら、若者が胸の内を話してくれた。
僕たちは、生活に困らなければ良いんです。
ちょっとだけ、余ればそれで充分。


いま住んでいる所には、
美味しいものは一杯ある。
世間が注目しないお陰で、
新鮮で美味しい蠣や蟹、そして河豚といった、
海産物が、安い値段で手に入る。


子供なんか、作れるわけないじゃないですか。
どうやって育てるんですか。
それより、今の生活を楽しく過ごせれば良いんです。


企業も、政治も、何やってるんですか。
メチャクチャじゃないですか。
年金とか、もらえるわけないし。
日本が嫌になります。
このまま進むと、とんでもないことになるようで。


20代前半の若者の声だ。
「確かに」、そう答えるしかなかった。
その通りだ。
自らの将来を考えたとき、
どれくらいの若者が、希望を語ることができるのだろうか。


いま、起こっていることを考える。
遅々として進まない震災後の処理。
数十年もかかるという福島原発廃炉処理。
いつ辞めるともわからない首相と、
打つ手を持たない、その他おおぜいの政治家。


放射能という、目に見えない、
なんとも抗しがたいものが、
少しずつその影を落とし始めた。
野菜に、海産物に、その影響が忍び寄る。
聞くと、九州の野菜は引っ張りだこだとか。


さらには、材木が買い占めされたとか、
その材木屋が、建築材のプレカットを始め、
東北に搬送するらしいとか。
なんとも、現実的な話も聞こえてくる。


脱原発の次は、脱ニッポンなのだろうか。
少なくとも、若者の出した答えはそうだった。
そして、わたしもそうだと答えた。
増えない雇用。
割に合わない労働とその報酬。
月300時間以上も働き、自省する時間すらない。
夜昼12時間交代勤務で、体の変調を訴え退職。


働くとは、
幸せとは、
生きるとは、何だろう。
本当に、ニッポンは崩れていくのだろうか。
いつになく、考え込んでいる。


わたし達が目指した社会は、どこへいったのだろう。
問い始めると、限りない「なぜ」が生まれてくる。
ニッポン、にほん、日本。
その日本を脱出しようと言うわけだ。
ネットでは、そうして脱出した若者の動きが目立つ。
従来とは異なる発言に目がとまり、
そのプロフィールを見ると、
20代の若者が多くいる。
それも、20代前半の。


もしかしたら、こういう流れ、動き自体が希望では。
最近は、こうした思いから、
あえて、若者の意見を見る機会が増えた。
あと、10年あるいは20年もすれば、
いま、日本社会を塞いでいるオジさん、オバさん、
あるいはジイサン達はいなくなる。
少なくとも、日本社会の一線からは遠ざかる。
それからの日本を担うのが、
こうした海外脱出組で、ネット社会で繋がった、
若者の多くではないのか。
そういう思いになってくる。


残念ながら、
こうした若者の考え方、行動を知る大人は少数だろう。
それでも、脱ニッポンを決意し、
思い切って、新天地を求めて飛び出す若者に、
大いに希望を持っている。


思えば、自分自身渡米したのは23歳の時。
まあ、数十年早かったわけだが、
その時も、別の閉塞感はあった。
かなり個人的ではあったが。
その後の数年で、今の自分が形成された。
そう考えると、脱ニッポンだって、悪くない。
むしろ、若者は国を出よと大号令かけても良いくらいだ。
下手な国内の施策より、
海外渡航費用を援助し、とにかく若者は海外へ。
そうした試みの方が、
将来の日本のためになるかもしれない。


そう考えると、
脱ニッポンもまんざら捨てたものじゃないと思う。
決して、日本を捨てるという意味ではない。
少なくとも、冒頭の若者に関しては、
日本を愛するが故の、脱ニッポンだと感じた。