天災・地変・人妖

このところ、週末は雨模様が続いている。
タイでは、バンコクに溢れた水がせまり、
日本企業をはじめ、経済活動に大きな混乱が起きている。
またしても、という気持ちだ。
詳しい原因は分からないが、
田園地帯を埋め立てて、工業団地を造成したため、
大地の保水力がなくなったとの記事を読んだ。



ここにも、自然と向き合う厳しい現実を感じる。
地球に生まれ、地球に育(はぐく)まれているにも関わらず、
自らの経済と称する活動で、
土地を覆い、そこに鉄とコンクリートの山を築き、
最後は粗大ごみと化する大量のモノを作り出す。


人々は、その作り出されたモノを、
競って集め、幸せを享受しようと試みる。
自然が生み出すものよりも、
人が産み出すモノの方が、価値を持つ時代だ。


自然は、自ら生み出したものを、
人に、動物に、無償で分け与え、
何も求めることなく、静かにその営みを繰り返す。
その営みに感謝しつつ、ともに生きる。
地球の一員としての、ひとの生きる道がそこにあった。


いつしか、自然は人のための道具と化した。
無償の土地に、所有権を設け、
水や空気の恩恵には目もくれず、
生産と称する活動で、
その水や空気を汚しまくり、
あたかも、自分の力だけで作り出したかのように、
その益を独占しようと試みる。


雇用喪失と叫ばれて久しい。
大震災後は、その対応に多くの労力が裂かれているためか、
雇用対策を真剣に訴える政治家を知らない。
どこがやるべきなのか、
国も、地方も、住民の保護には熱心だが、
自力で生きようとする人々への支援は、
残念ながら、ほとんど無い。


掲げられた政策は、絵に描いた餅のように、
実効性がほとんどない。
従来型雇用が崩壊の危機に面しているにもかかわらず、
ひたすら緊急雇用と訓練の繰り返し。
人々は、明日の仕事を求めているのだが、
その具体像は示されないままだ。


リーマン・ショック
ギリシャに端を発した、EUの経済危機。
中東、北アフリカなどに見る、数多くの政変。
大震災といい、今回の洪水といい、
そのどれもが、「想定外」の事象だ。
ひとの生き方そのものが問われている。
何度となく、そうした問題提起がありながら、
遅々として進まない、ひとの意識の変化。


わたしたちひとり一人が、
いまの時を考え、
自分の生き方を、考え方を見直す時なのだろう。
自分が変わらなければ、何も変わらない。
自分自身が、自分を変えようという意識がなければ、
なにも変わらない。


自分は変わらなくとも、世界は変わる。
地球も、自然も、大きく変わろうとしている。
そのなかで、従来のままの意識でいること自体、
その存在が危ういのでは。
そういう時代の到来を感ずる。


先日読んだ「易教講座(安岡正篤)」のまえがきに、
次のような一節があった。

父はよく「今の世の中は、恐るべき変化と不安の時代、しかも大変な想像以上の速さと不気味さを感じる。まことに天災・地変・人妖の三つが兼ね備わっておるのが昨今の情景である。特に人妖については沙汰の限りである。」と申しておりました。現今の情勢は父が指摘したとおり、易でいう変易・変化が悪く悪く深耕していき、人間が正常さを喪失して異様な状態に落ち入っているとしかいえません。

これだけを読むと、ではどうすれば良いのかと、
考え込んでしまう。
事実、求職者との相談内容も、
現状を見る限り、抜け出す方策が見えないままだ。


同書の中程に、次のような一節がある。

易というものは、宇宙・人生の神髄・本質を把握したものであって、即ち万物は変わるのであります。これは宇宙・人生の本質であるが、その変わる中に自ら変わらざる法則がある。その法則を把握して、これに従って耐えていく。このゆえに易というのであります。(59ページ)



ともすれば、先が見えない状況で、
話も進まず、空を見上げることが多くなっている。
総体として、世の中が変わっているのであって、
わたしたちひとり一人は、
その変わりゆく世の中で、
変えてはいけないものを、しっかり把握し、
その変化に対応していく。
それしかないのだろうと思う。


これからも、
多くの「天災・地変・人妖」が起きるのだろう。
それは、わたしたちの意識が変わるまで、
これでもか、これでもかと続く予感がする。
とすれば、まずは自分自身の生き方、意識から、
徹底して変えていく。
それさえ自覚していれば、
安心して生きていけるのではないか。
なんとなく、そういう気持ちになった。