5年前

ちょうど5年前、校長室での会話。
いきなり、なんの前触れもなく解雇を言い渡された。
理由は、赴任して1年足らずにも関わらず、
学生数が満たせなかったとの理由だ。
まったく考えても見なかった展開に、
内心、そろそろ潮時だとは感じていたこともあり、
呆れ果てながらも、承諾したことを思い出す。



家族にも告げることなく、新年を迎え、
次の歩みを考えた。
結婚を契機に、始めて正社員として就職。
パソコンの黎明期に、英語学習ソフト制作会社での仕事。
4年半くらい努め、当時のコンピュータスキルを習得した。
その後、帰郷。
中心部にオフィスを借りて、IT関連のサポート業を開始。
その中で、職業訓練に参加していた学校からお呼びが掛かり、
情報処理関連の講師として働くことに。


自営で、情報処理関連の執筆などを中心に数年続けたが、
営業力のなさから、閉鎖。
どうしようかと、就職活動を始めようと考えていたところに、
専門学校から職員にならないかとの誘い。
以来、10数年奉職することに。


マルチメディアという言葉が使われ始め、
アップル社のコンピュータが輝きだした頃だ。
マルチメディアコースの立ち上げ、
CGデザイン、さらにはCADデザイン、
そしてWEBデザインと、
数年ごとに、新たなコースを立ち上げてきた。


もともと簿記学校としての立ち上がりであったので、
コンピューター関連には疎い職員が大半。
したがって、コース設計、機材導入、さらには学生勧誘まで、
なんでもやらなければならないポジションに。
自宅では、先端技術を自前で学び、
それを元に、授業を組み立てる。
そうした日々が続いた。


学園自体は、バブル期の借金返済に追われ、
利子返済に追われる日々。
さすがに、持ちこたえることができないまま、
努めていた学校を閉鎖することに。
新規募集をせず、2年生を送り出すために、
責任者として一人、数人の講師と共に、
狭いオフィスを間借りして1年間を過ごした。
それでも、なんとか年間の授業をこなし、
学生を送り出し、教室を閉鎖。
その後、異動した同系列の専門学校で、
名ばかりの教頭職を与えられ、
職業訓練主体の教務を数ヶ月やりつつ、
来年度の計画を立てていたところでの、解雇通告だった。


それから5年が経過した。
あらためて5年前の自分を振り返っている。
失ったもの、得られたもの、
それぞれが走馬燈のように、頭の中を駆け巡っている。


キャリアカウンセラーという職業と出会えたことは、
その中でも、特筆すべきことだと感じている。
あのとき、解雇されていなかったら、
いまの自分はなかったと思う。
定年退職を迎え、さて何をしようかと、
次の一歩を踏み出せないまま、戸惑っている自分が見える。


そう考えると、解雇されたことはラッキーだったと思う。
職場を離れるまえに、再就職支援センターを訪ね、
相談員の方との出会い、そこでこの職種を知らされた。
いまにして思えば、
劇的なトランジション(転機)となった出会いだ。
あのときの相談員の一言で、
いまの自分がある。
そう考えると、感謝であり、
そうした仕事の存在を、とても貴重だと思う。


あれから5年、
たった5年間なのだが、とても濃い時間を過ごした。
昨日、同僚と奇しくも解雇された専門学校のすぐそばで、
これからのキャリア教育について語らうことができた。
示される内容に対し、
ほとんど説明がいらないくらい、共感できた。
自分の進むべき道が、
さらに明確になったようなひとときであった。


新しい年を迎えるに当たって、
今年の締めになる振り返りを記しておくことに。