食べる

訳あって、最近スーパーの食品売り場に行く機会が増えた。
あちこち、食べ物を求めては、ウロウロしている。
省時間で、体に良い食べ物はないものかと、
あれこれ手にとっては、しばらく考え、
裏側に記されている原料を見ては、
そっと、陳列棚へ戻す。



なかなか、買って食べる気がしない。
最終的に購入するものは、加工品ではなく、
材料ものに落ち着いてしまう。
それも、近隣の農家が作った野菜などに。


料理するかといえば、
とてもそんな時間はない。
それでも、体を維持するための方策については、
あれこれと、考えている。


そもそも、人間にとって「食べる」とは、
どういう意味を持っているのだろうか。
何のために食べるのか。
この問いかけは、あまり聞いたことはないのだが。


アメリカに滞在中、思いっきり体を壊した経験がある。
毎日、ハンバーガーとコーラ漬けの日々。
甘ったるい食べ物、
フライドポテトとフライドチキンなどなど。
帰国してからは、肉や砂糖が体に入ると、
蕁麻疹で、皮膚が大きく腫れ上がっていた。
25歳の時だった。


さすがに、これではやばいと考えて、
どうすれば健康な体を維持できるのか、考え始めた。
まず始めたのが砂糖断ちだった。
基本、白砂糖の摂取を極力控えた。
そして、人工調味料。
この二つは、いまでも続けている。
極力、こうした人工のものは体に入れないように。


食べるとは、生きるためのエネルギーを確保するのが最大の目的だろう。
とすれば、自分の体に取り込むものは、
自然に近いもが理想だと考えるようになった。
わら一本の革命」という本に出会ったのもそうした経緯からだ。
自然農にあこがれ、やがて老荘思想へと導かれていった。
この辺りの話しは、今後まとめてみたいと考えている。


結婚するまでは、こうした考えをベースに、
自分で食事を作る日々が続いた。
その後、結婚し、子供が生まれた。
長男は、アトピーを発症。
なおさら、食については考えざるを得なくなった。


自然に生きる。
それは美しく聞こえるが、
実際に生きてみると、それほど単純なものではない。
それでも、できるだけ自然にそった生き方がしたいと思っている。
自給自足の生き方、
最後は、ここにたどり着くのだろう。


文明化された現代に、
こうした考え方が適しているかどうかは定かではない。
ただ、自分の志(こころざし)としては、
自然の中で、自給自足しながら、生きていきたい。


太陽が昇ると目覚め、
暗くなると、休む。
晴れると、外へ出かけ活動し、
雨が降ると、室内で休む。
自然の営みとともに生きる。


現代病と称される、
精神の病など、入り込む余地はなさそうだ。
得られる恵みに感謝をし、
ありがたく、自分の生命につなげていく。
山の神や海の神に感謝を捧げながら。


若者の○○離れが進むのは、
実は、根源的な叫びとして、
自然回帰を目指しているのかも知れない。
大人たちが作り上げた閉塞社会に対して、
「NO」という気持ちを持ちつつも、
人間本来の生き方を探し求めて。


そう考えると、いくつかの事象も理解できる。
「食べる」ということは、
「生きる」と同じくらい、大切なテーマであり、
ひとりひとりが、自分の問題として、
取り組むべき課題なのだろう。



「食」の問題、いくつか気になるビデオなどをリンクしておこう。
→ 福岡正信 自然農法家




→ いろは革命歌
→ 遺書「いろは革命歌」by福岡正信


→ 映画『フード・インク』『ありあまるごちそう』予告編