ソーシャル・ラーニング

先日から気になっていた言葉。
定義は、まだ定かではないようだ。
なんとなく、ソーシャルメディアを通して学ぼうよ、
みたいな感覚かと思いつつ、
紀伊國屋書店を彷徨(うろつ)いた。



新刊書を中心に、今どきの傾向を探りながら、
お目当ての書籍を探す。
どのジャンルに属するのかわからないまま、
結局、検索機のお世話になった。


置かれていたのは、マーケティングなどの書籍コーナー。
あきらかに、ソーシャルラーニングで儲けましょう、みたいな場所だ。
そこには、FaceBookTwitterなどを利用した、
集客や宣伝、プロモーションといった書籍であふれていた。


そうなのか。
こうしたソーシャルメディアって、
ビジネスマンに取っては、
結局、お金儲けの道具に過ぎないのか。


違和感を覚えつつ、お目当ての書籍を発見。
期待いっぱいで中身を見て、ガッカリ。
これといって、惹かれる言葉が飛び込んでこない。
なんだ、これで儲けましょうという話か...。
まったく買う気にはならなかった。


ビジネスマンと称する人々は、
どうして、なんでもかんでも、儲け話に変えたがるのだろう。
最後は、稼いでナンボじゃと言わんばかりに、
ビジネス、ビジネス!!
なんでも、ビジネスといえばOK。
そういう風潮って、もう終ってるんじゃないのだろうか。


そもそも、学びの目的は、自己の成長であったはず。
生まれ落ちて、育っていく過程の中で、
教えられ、真似(まね)びながら、
健やかに育つために必要な知識やスキルを、
先達から学びとる。
結果として、金銭的な報酬もあるだろうが、
それを第一と考える生き方は、
そろそろ限界にきているのでは。


「ソーシャルラーニング」って、
そういう限界を知った人たちが、
ソーシャルに共有される知識を分かち合いながら、
学びあえる仕組みだと、思ったのだが。


都会で開催される研修会とか、講演会とか、
いまだに参加費用が数万円する。
さらに資格取得の検定試験となると、
もっと費用がかさむ。
参加費用に加え、地方だと交通費もかかる。


これだけの出費をしたところで、
いったい、どれだけのものを得られるのだろうか。
そうした学びと、
ソーシャルメディアなどを介した学びの違いは、どこにあるのだろう。
一方では、数万単位の費用が必要だが、
後者は、時間も、場所も、制約されることなく、
ネット環境に多少の出費をするだけで、
多くのことを学ぶことができる。
そういう環境で学べることこそが、
真の「ソーシャルラーニング」ではないのだろうか。


身近にいる人からだって、学ぶことはできる。
さまざまな経験を積んだシルバー世代にも、
学びに耐えうる十分な方々が存在する。
ネットだけではなく、
実際のつながりの中からも、学びはできる。
誰からでも学べる仕組み、
そういうシステムこそが、
真の「ソーシャルラーニング」なのかもしれない。
こうした学びのコミュニティがあっても良いと、考えた。



◇関連リンク
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