5年目

昨日で職場勤務が、まる4年過ぎた。
短いが、濃い時間だったと思っている。
これほど濃縮された仕事を経験したことはない。
一日のほとんどが、誰かと話している。
朝から夕方まで、おおよそ1時間単位で、
少ないときは3、4人、多いときには毎時間、話している。



家に戻ると、頭が機能停止。
夕食が済むと、体は完全に休止状態。
何をやるにしても、睡魔との戦い。
いや戦うのではなく、その魅力に引き込まれている。


なんとか、次のステップへと、
ネットを彷徨い、新たなネタの仕入れや、
今後の計画をと考えるのだが、
とにかく、頭が働かない。
こんな経験は、いままでなかった。
それほど、日中休みなく働いている、ということのようだ。


ときどき、何をしているのか考える。
「お仕事は」と、問われると、
「毎日、人の話を聴いてます」としか、答えようがない。
自分が積極的に、何かを指示したり、教えたりするポジションではない。


何が課題なのか、
何に困っているのか、
いま、どうしたいのか、
とにかく、体を張って、聴き出そうと試みる。
そのためには、相手の話を聴かなければ。


そういう意識でいると、
何をするのか、という問いかけがなくなってしまった。
とにかく座ること。
話を聴くこと。
考えるのは、その後だ。
自分が先に歩み出すのではなく、
よく聴いて、わかり、そして動く。


そう考えると、だいぶ負担が減ってきたように感じる。
人の人生など、そもそも自分が負えるわけなどない。
そこで、なんとか答えを出そうとか、
なんらかの結論に導こうなどと考えたら、
体がいくつあっても、持たないのだろう。


来た球を、なんとか投げ返そう。
そうした意識でいられるように、努めている。
職場を出た瞬間から、ある意味すべてを忘れる。
いや、忘れるように、努めている。
職場で人と向かい合ったら、
ひたすら、とことん、一緒に考える。
こうした事が、だいぶ習慣化してきた。


したがって、最近は、共に「唸(うな)る」時間が多くなった。
ないよね、仕事、ほんとに少なくなったね。
何する、見えないね、何が向いてるかな。
いやいや、それは無理じゃない。
公務員の仕事と、一般の会社の仕事は違うと思うよ。
などなど、思ったことを、そのまま口から出している。


プロセス思考とでも言うのかな。
結果は、あとからついてくる。
どうなるか、わからないながらも、
一緒に、考える。
一緒に、悩む。
どうしよう、どうにもならないな。
う〜〜ん....。
といった流れだ。


以前は、なんとか自分なりに対策を考えながら、
それを伝えたり、していたのだが、
ここまで雇用情勢が混沌としてくると、
もう、ダメだと、半ば開き直っている。
来るとこまで来てしまった。
あとは、現実をそのまま受け止めて、
そこから出発。
下手な慰めとか、希望とか、ない方がいいのでは。
そういう対峙が多くなったと感じている。


何もしないのではない。
何もできないのだ。
これ以上、今の雇用情勢の中で、
無駄な抵抗はできない。
あっさり、白旗上げて、降参するしかない。
完全な、お手上げ状態だと、思っている。


あれほど、雇用、雇用と叫びながら、
だれが、どれだけ、
若者が希望に燃えて働ける雇用の場を提供しえたのか。
「脱」や「反」、あるいは「卒」でもいい、
その先の「未来」は、どういうイメージなのか。
若者に示して欲しい。
オヤジ達や、おばさん達に、
いったいどれだけの、未来が語れるのか。


選挙ムードが高まる中、
空しいスローガンと、
お山の大将たちの、合従連衡(がっしょうれんこう)の数あわせが多発。
若者は、未来を語る。
なんとか、明日への道を示したい。
そういう想いが、フツフツと沸いてくる。
どれくらい、いまの仕事を続けることができるのか。
時がきたら、そこで考えることとして、
淡々と、粛々と、話を聴くことを、続けることにしよう。
5年目の最初の日に、記することに。