直感

3連休の中日に、届け物をと思い天気を調べた。
週のはじめに見た予報は、最低気温が0度で、
クリスマス寒波が来るとの内容。
雪でも降られたら、運転は無理。
そういう思いから、マメに天気予報をチェックしていた。

なに、最高気温は10度になるの?
これって、寒波。
そう思って、スマホのアプリを見ると、
相変わらず、最高気温は6度のままだ。
予報だから、自分で判断するしかないのだが、
これで、どういう判断をすべきなのか。


天気予報を当てに出来ないという思いが、強い。
台風にしても、雷や突風の予報にしても、
猛烈とか、強烈とかの表現が増え、
危険ですから、建物の中に避難してくださいとか、
やたら、不安を煽る表現が多いと感じる。


東北大地震福島原発事故などが、
こうした表現を、過激にしていると思うのだが、
なんでも、かんでも、危険だ、ヤバイと言い続けると、
そのうち、人のこころは、こうした情報を信じなくなる。
最近の天気予報は、その傾向を表しているように感じる。


暖冬と言ったと思えば、厳しい冬になるとか、
平年並みと言いながら、猛暑だったり。
季節も、秋なのに、いきなり真冬並みの寒さになったり。
なんとも、信じられない予報が多い。
もっとも、こうした感覚は、
あくまでも自分が感じるのであって、
統計的に、数値化して、断じているわけではない。


得られる精細な数値データが増え、
それを処理するコンピューターの能力も飛躍的に向上。
短時間で、正確なデーターを処理できれば、
将来の予報が、より明確に出せるはず。
背景には、こうした数値データー至上主義的な匂いを感じる。
仕事も、経済も、人の健康も、時には人の善し悪しまでもが、
ほとんどすべて数値化され、
比較され、評価されている。


これまでのところ、
こうした流れに、それほど抵抗は感じなかった。
しかし、最近の天気予報を始めとして、
統計による数値判断に対して、
なんだか変だぞ、と思う自分がいる。
自分の直感と、こうした予測のズレが、
最近、かなり激しくなっている。
どちらを信ずるか、
意外と、自分の直感のほうが、まともな気がしている。
お偉い人の、こうした統計に基づいた判断より、
自分自身の直感を頼りにしたほうが、
どうも、結果は良いようだ。
証明のしようはないのだが、
人生は、自分が責任を持ってい生きることだとすれば、
自分の直感を、信じるほうが、
幸せだろう。


今回の選挙の結果にしても、
終わってみれば、自分が思っていたような状況だった。
一説によると、昨日あたりで世界が終わっているのだが、
いま現在、そういうニュースは伝わってこない。
これまで、何度世界は終わることになっていたのだろう。
10数年前は、確かノストラダムスだった。


天気予報と、これらの予測が同時に論じられる訳はないのだが、
自分の直感を信じるという意味では、
同じようなものと、感じている。