絞る

なにするでもなく、まったりと新年を過ごしていた。
あふれる情報に、なすすべもなく、ただ流されながら。
ネット記事も、テレビも、新聞も、
正直見たくないと、思いつつ。

この数年、同じような光景だ。
かなり、食傷気味。
何を見ても、つまらない。
さりとて、自分から積極的に情報を探しに行く気もしない。


そうこうしているうちに、
いつもと同じように、内なる声が叫び始めた。
今年こそ、情報発信をしなければ、と。
これまでも、感ずるままに、自分なりの発信をしたつもりだが、
対象も、テーマも、はっきりさせることなく、
かなり漠然と、書いていた。


対象やテーマを絞り、掘り下げる時が来たようだ。
わかっているのだが、これがなかなか難しい。
読み手を想定しつつ、情報を発信する作業。
自分自身が、かなりコミットして行かない限り、
継続は困難だ。


若かりしころ、悶々とする想いを、ノートに書き殴っていた。
自分自身の本音というか、その時の気持ちを綴った。
やがてネット上のブログに、その想いを書き込み始めた。
その記録は、いまも残している。
当時は、ブログ自体、メモ的な位置づけだったと記憶している。
したがって、書いた記事は非公開で、
パスワードを入力し、自分だけが読めるようにしていた。


やがて、ブログが一般に認識され、
自分自身の紹介や自分の意見の発表の場として、利用が進む。
このブログは、5年くらい前に始めている。
なるべく公に、自分の気持ちを発表しようと意図した。
その意図は、十分達成されたと思っている。


TwitterFacebookなどのソーシャルメディアが、
さらに拍車をかけた。
自分の考え、想い、感じたことを、
ストレートに表現できるツールだ。
数年、使い続けているが、最近気がついたのは、
自分の内なる気持ちの書きどころがない、ということだ。
本音で書き込む場所が、いつのまにかなくなっている。


さて、どうすべきか。
そうこう考えている時に、思いついたのが、
意識した情報発信ということだった。
内にある私的な想いを、
非公開で、別のところに分けて記することで、
公開できる情報を見つけ出し、
その情報を、広く公に発信しよう。
この数年、なんとなく装っていた自分がある。
そして、装う自分と、素の自分が、
混じり合ったまま、事が進まず、今日まで来ている。
どうやら、こうした事情が、あったと気がついた。


自分のテーマを、絞り、
対象を、絞り、
自分ができることを、明確に定義し、
その実現を目指すこと。
これが新年の活動を始めるに当たって、
いま、思うことだ。
どういう展開になるのやら。
自分事ながら、楽しみな始まりだと感じている。


情報にも、ダイエット(絞り込み)が必要なのだ。