キーボード

職場でも、スマホユーザーが増えてきた。
これまでみたいに、どれが良いかとかの話ではなく、
それぞれが、iPhone以外の機種を購入。
詳しくは聞いていないが、
docomoユーザーだということだけは、感ずる。
まあ、時の流れだ。

話を聞いていると、携帯電話がなくなると言われたとか。
通信会社の思惑も絡んでのことだから、どうなるかはわからない。


さらに、企業ではiPadなどのタブレット導入も加速。
卓上のパソコンが、タブレットに置き換わる日も、
そう遠くないのかも知れない。
家庭から、パソコンがなくなる日だって、
やがてやってくるのだろう。


時代の流れと考えればそれまでで、
特別の感慨はないのだが、
一つだけ、こまった状況が起こると考えている。
それは、キーボードを使う機会が減る、ということだ。


誰が困るのか。
日本語入力そのものを、ローマ字タイプし、
スペースキーで変換しながら、文章を作成する作業。
これ自体は、30年くらい前にはじまった方式。
いまでは、携帯やスマホを使った入力や、
タブレットでの手書き入力、音声入力など、
日本語の特性にあった方式が主流になりつつある。
したがって、キーボードが減少するのは自然の成り行きだろう。


こうした流れに、竿を差すつもりはない。
ある種、歓迎すべき事だとは思っている。
ただ、キーボードが家庭や職場から減少することで、
プログラミングを志す人びとが、少なくなるのではと、危惧している。

これまで、子供たちは、家庭や学校で、
否が応でもキーボードを使ってきた。
日本の手書き文化とは、おおよそかけ離れた欧米の文化を、
知らず知らずに、学んでいたわけだ。
日本語の入力が目的だが、
結果として、英数字の配列を覚え、英語でのコミュニケーション、
さらには、パソコンとのコミュニケーションのスキルを、
身につけることができていたと、思っている。


プログラム言語は、コンピューターとのコミュニケーション言語。
日本語をベースにしたプログラム言語も存在するが、
アルファベットを主にしたものが、ほとんどだ。
したがって、日本語や漢語を使う人びとには大きなハンデになる。


わたしの子供たちは、小学生の低学年からキーボードに慣れていた。
それしかなかったわけで、
好きとか嫌いとかではなく、コンピューターを使うためには、
まずキーボードから、だった。
やがて、プログラミングに興味を持ち、
自分でコンピュータを動かす仕事に就いている。
特に意識したわけではないし、
仕事柄、プログラマーにはならないようにと、
言い聞かせていたことを覚えている。


プログラマー自体を否定するつもりはないが、
仕事としてのプログラマーは、いまでも抵抗がある。
ここで、プログラマーとSEの違いを論じても仕方がないのだが、
単にコンピューターと会話するだけの人間ではなく、
コンピューターを使いこなす道を歩んで欲しいと願っていた。
それが、真のSEたる所以だとも考えている。


キーボードがなくなるということは、
これからの子供たちにとっては、
プログラミング言語に触れる機会が、
減少することを意味している。
したがって、このままでは日本社会全体が、
キーボード文化から取り残された、
ガラパゴス状態に陥るかもしれない。


こうしたことが、杞憂に終わることを望んでいるのだが、
そのためには、キーボードをこよなく愛している身として、
なんらかの対策が必要だと、
遅ればせながら、考え始めたところだ。