き業

数日前、フッとひらめいた。
「き」業の支援。
都会の起業ビジネスなど、
ほとんど参考にならない田舎。
そこで生きていくための方策。
ビジネスとして考えたわけではない。
かなり現実的な、切実な問題意識からだ。

ネットを飛び交う、格好いい生き方ではなく、
田舎で、20代、30代そして50代や60代の人びとが、
どうすれば、いまの時代を生きていけるのか。


日々、仕事を探す人びとと向かい合っている。
リーマンショック以来、
ずっと、同じようなポジションだ。
円安だとか、
株高だとか、
マスコミなどは浮かれているが、
現実は、ガソリン代の値上げから始まり、
将来への不安ばかりが高まって、
生活の高揚感など、まったくない。
どうすれば、自分の生活を維持できるか、
将来の展望が開けないまま、
仕事探しが継続中だ。


これから、どういう雇用が生まれるのか。
まったく見えてこない。
雇用創出と、スローガンだけは踊るが、
実際の舞台とか、
出演者、さらにはストーリーの展開が、
わからない。
医療、エネルギー分野などと言われても、
実際の求職者が参加できる仕組みが、見えない。
中途参入者は、無理なようだし、
若者に、土木作業は夢がない。


そんな中、現実的な方向として浮かんだのが、
「き」業支援という考えだ。
「ど」がつくほどの田舎に、住んでいるわけではない。
中途半端な田舎で、普通の人が、
これから、どうすれば生きていけるのか。
毎日、こうした問いかけを受けている。


普通に生活したい。
明日の生活に、不安ではなく、
安心できる生き方をしたい。
そうした願いを、どうすれば実現できるのか。


必要なのは、場というか空間のようなもの。
ある程度同じ方を向いた人びとが、
集って、その行き先などを話せる場。
ある種、駅のプラットフォーム的な場所かもしれない。
駅の待合室でもいい。
これから行くべき目的の地について、
情報を交換し合う。
目的の地さえわからないまま、
誰彼となく、話を聞ける場所、みたいな空間。
漠然と、イメージすると、こうした感じになる。
具体的な図は、これからだが、
自分の直感を頼りに、進めていければと、思っている。


正規社員として、
終身雇用を保障され、
年功序列の組織の一員として、
参加できそうもない若者と、
そうした組織から、解き放たれた中高年。
さらには、一人家庭で踏ん張る人びと。
いずれも、非正規の働き方を余儀なくされている。
助成金を積み上げても、
正規の社員として働ける道は多難だ。
企業自体に、その体力がなくなっているのが一因。


したがって、ひとり一人が、何らかの生きる手段を持たねばならない。
田舎で、自分が、そして自分たちが、生き残る方策。
それが、田舎では必要とされている。
いまさら、都会に出て行って、
働いたからといって、現状を打開でないことは、
十分理解できている。
で、どうするか。
その問いかけから始めることが必要だ。
ひとり一人が、サバイバル的に、
これからの5年、10年を見据えて、
戦略を立てること。
田舎で、どうすれば、安心して生きていけるのか。


3万円ビジネスとか、
グローカルに生きるとか、
これまでも、いくつものアイデアが出されている。
それぞれを、自分の生き方と織り込みながら、
自分の生き方を探る。
自分にとっての、「き」業を起業する。
そういう流れを作り出したいと、思っている。


「き」業。
樹業、木業、机業 ...
切業、着業、棄業 ...
忌業、喜業、記業 ...。
それぞれの「き」を決めて、
それを自分の生業(なりわい)として、
己業を、起業する。


いずれも、「き」業するということ。
これからは、誰もが「き」業すればいい。
そういう流れに、なりつつある。
試行錯誤しながらも、
ひとり一人の「き」業支援。
どうやら、自分の生業が、すこし見えてきた。




参考記事:
→ 書評「つらいから青春だ」
→ 場作りの意味
→ 人間は身近な人間に対してしか覚悟を決めれない
→ インターネット的なものの考え方
→ 日経平均の根拠なき熱狂