流れ

次年度の更新に向けてインタビューが始まった。
毎年のことだが、いろいろと考えることが多い。
結果は、2月末にわかるのだが、
それまで、皆が複雑な気持ちで業務をこなす。
継続か否かで、その対応は異なる。



ある意味、天国か地獄かみたいなものだ。
彼岸と此岸(しがん)のような。
それでも時間は流れていく。
すべてに等しく、与えられた資源(リソース)だ。


この時期になると、いつも考えるのがこれからの流れだ。
今週のできごとは、それを象徴するかのようだった。
昨日は、親父が足代わりに使っていた車を廃車にした。
ぽっかりと主をなくした車庫が、少し悲しげだ。


叔母が亡くなり、葬儀に参席。
昨年、叔父が亡くなり、後を追うように。
親父は、90歳を目前にしながら、
先立つ訃報に、なんとも言えない様子。


誰も、どうにもならない現実がある。
それをどう考えるかは、その人次第。
他人が、その心に入り込んで、
とやかくできるものでもない。
まあ、あるがままに、流される以外に方法はない。
すべては、時が癒やすわけで。


自分だって、わからない。
この身体、自分のもののようだが、
実は、自分ではどうにもならない。
息を引き取ると、残念ながら、
三者に、その処分を託さねばならないわけで。


まあ、生ある者、いずれは死ぬわけで、
死ぬまで、生きていれば良いと、
そう思いながら、流れている。
職場の仕事も、同じだな。
そのとき、考えれば良いわけで、
それまで、そこで働く。
それ以上の事は、考えないことなのだろう。


先日のクローズアップ現代(NHK)で、
「モンドラゴン」という存在を知った。
名前が面白い。
東洋人が、特に漢民族が好む「龍」を関した組織。
神父さんが仕掛けた共同体らしい。
協同組合といった考えの元祖みたいなものと、理解した。
農協とか、生協とか、そのイメージはあまり良くなかったのだが、
その生い立ちを知って、捜し物が見つかった気がしている。


さらに、生協の原点が賀川豊彦だと知り、
懐かしい思いになった。
内村鑑三新渡戸稲造
同じキリスト教の考えを持ちながらも、
異なる動きをしてきた賀川豊彦
それぞれに、若いときは傾倒していた。
死線を越えて」を読んで、
影響を受けた時期があったのを、思い出した。


アリの街のマリア」という本や、
ゼノ神父
社会的弱者と寄り添い、
その自立を支援してきた人々も。


次年度は、生活保護受給者への支援などが、
ホットなテーマのようだ。
母子家庭も含めて、
こうした方々への支援を、本気で考えないといけないのだろう。
単に、支給するということではなく、
自立へ向けた支援ということだ。
今一度、自分自身の原点に戻ることなのか。
若かりしころに影響を受け、
その道を歩んでいた自分を、
久しぶりに、思い出した。