「かみ」意識

詳細を知りたいわけではないが、
意識について、考えている。
身体(body)の意識、
こころ(mind)の意識、
魂(soul)の意識について。

特に、こころと魂の違いが気になっている。


ときどき思い起こすのは、
7つのチャクラ図だ。
人の中にあるとされる、チャクラ。
それぞれに、意識があると考えている。
自分の意識を、どこに向けるかで、
自分の在りように変化が起こる。


最近気になっているのが、
一番上にあるチャクラの意識。
かみ(上)の意識とでも呼べば良いのだろう。
上の意識は、神の意識へとつながる。
自分自身の意識を、上の意識へと近づけたとき、
残りの6つの意識が、不要になるというか、
どうでも良くなってくる。


眉間や喉辺りの意識は、
情報収集や、発話が中心で、
人とのコミュニケーションに必要な意識。
心臓とか、鳩尾(みぞおち)あたりが、
相手とのこころを通わせる意識。
自分を律し、相手のこころと向き合う意識だ。
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残った下腹部とその下が、
身体維持のために必要な意識。
文字通り、下ネタとして扱われる部分。


こう考えると、
上の意識は、これら6つの意識を統合し、
さらなる高みへと導くための意識、
人を魂へと誘(いざな)う意識と解することができる。


毎朝、半時間ほどの瞑想の時間を持っているが、
最近の関心事は、
上の意識への到達だ。
この領域が把握できれば、
悟りの域に、ある程度近づくことができると、
理屈ではなく、意識として、
把握できるようになってきた。


ずっと、追っかけているテーマだ。
ライフワークと言っても良いだろう。
上の意識、
当然、神の意識へとつながる。
特定の宗教の教えとしてではなく、
人間として生まれ、
人間として生きるのに必要な意識。
そこを目指して、生きている。


いま起こっている事象は、
すべて、そのプロセスだと理解している。
カウンセリングの学びも、
いまの仕事も、環境も。
さらには、関係する人びとも、
同僚であれ、上司であれ、相談者であり、
みな、必要があって、現れ、
その役割を果たしている。


それでも、不可解なことは多くある。
いろいろと、こころの意識で考えると、
なかなかストレスが溜まり、
身体維持のチャクラが機能不全となり、
体調を崩す。
瞑想で、上の意識へと昇華を試みながら、
一日を始める。
さすがに、夜はボロボロで帰宅。
ほとんど、何も考えずに床にダウンする。


人は、何のために生きるのか。
人は、死んでも生きるのか。
人は、何のために働くのか。
考え出すと切りがない。
答えなど、有るわけがない問題を、
ときどき、考える。


最後は「かみ」の意識へと、たどり着く。
上(かみ)は、天(あめ)でもあり、神でもある。
そういう存在を、ひたすら求めている。
そう、神との出会い、
自分の人生は、神を信じ、
神と共に歩むためにある。
結局は、そこにたどり着く。


かみの意識。
かみ(髪)は、薄くなっているのだが、
かみ(神)への意識は、
人生と共に、濃くなっていると、信じたい。
これが、「人を相手にせず、天を相手にせよ」の、
現実的な対応策だと、思っている。