学校教育とコンピューター
久しぶりに「教育とコンピューター」関連の記事に注目した。
文部科学省は、「スクール・ニューディール」構想(学校施設における耐震化・エコ化・ICT化等)をかかげ、総額1兆3,174億円を計上しています。その中で学校ICT環境整備が2,087億円をかけています。
→ 「スクール・ニューディール」構想
ニンテンドーDSを活用した小中高向け授業支援システム「ニンテンドーDS教室」を任天堂が開発。生徒のDSと教師のPCを無線LANでつなぎ、インタラクティブに授業を進められるという。
→ ニンテンドーDSを教室に
かつてCAI(Computer-Assisted Instruction)なる分野で働いていた。
コンピューターを使った学習教材の製作だ。
パソコンという文字すら存在しない時代。
英語を学んだり、教えたりする中で、
コンピューターを使うと、語学学習がしやすくなるらしい、
その仕掛けはCAIと呼ぶようだ。
こうしたふれ込みにひかれ、コンピューター業界に入った。
気がつけば、20数年情報処理の分野で生きてきていた。
ときどき、なぜ自分はこういう歩みをしているのかを考える。
思えばコンピューターとの初めての出会いはアメリカだ。
事務をとっている女性から、便利なタイプライターがあると紹介された。
タイプライターなどと言っても、おそらく想像できる人は少ないだろう。
26文字の鉛でできた文字ハンマーを、
指で叩いて、文字を印字していく。
パソコンのキーボードは、その名残だ。
キー配列を覚え、キーを叩くと、文字が印字される仕組み。
ちょうどパソコンとプリンターが一体化した装置と考えればいい。
一昔前のワープロ専用機(これも博物館いりかな)。
手書きの原稿用紙と同じで、タイプし損じると、初めから打ち直し。
数ページにわたる作業だと、1行抜けただけで、最初からだ。
マシン的には好きだったが、
何度となく打ち直す作業には閉口していた。
そういう時に紹介されたのが、便利なタイプライターだった。
その衝撃は、いまでも鮮明に覚えている。
彼女は自慢げにディスプレイを指さしながら、
タイプした文字を「コピペ」して見せた。
どうやらコンピューターという機械を使っているようだ。
漠然とコンピューターか...
といった印象が残った。
学習とコンピューターは自分のライフワークの一つでもある。
「学校にコンピューターを」の議論は、
波のように押しては返す動きの一つだ。
今回の政策で、どのような結果になるのか。
はっきりしているのは、
パソコンは使う人(ユーザー)以上に賢くならない、ということ。
パソコンを使えば人が賢くなるのではない。
あくまでも使う側の問題だということを、お忘れなく。