学校教育とコンピューター

久しぶりに「教育とコンピューター」関連の記事に注目した。

文部科学省は、「スクール・ニューディール」構想(学校施設における耐震化・エコ化・ICT化等)をかかげ、総額1兆3,174億円を計上しています。その中で学校ICT環境整備が2,087億円をかけています。
→ 「スクール・ニューディール」構想

ニンテンドーDSを活用した小中高向け授業支援システム「ニンテンドーDS教室」を任天堂が開発。生徒のDSと教師のPCを無線LANでつなぎ、インタラクティブに授業を進められるという。
→ ニンテンドーDSを教室に

かつてCAI(Computer-Assisted Instruction)なる分野で働いていた。
コンピューターを使った学習教材の製作だ。


パソコンという文字すら存在しない時代。
英語を学んだり、教えたりする中で、
コンピューターを使うと、語学学習がしやすくなるらしい、
その仕掛けはCAIと呼ぶようだ。
こうしたふれ込みにひかれ、コンピューター業界に入った。
気がつけば、20数年情報処理の分野で生きてきていた。
ときどき、なぜ自分はこういう歩みをしているのかを考える。


思えばコンピューターとの初めての出会いはアメリカだ。
事務をとっている女性から、便利なタイプライターがあると紹介された。
タイプライターなどと言っても、おそらく想像できる人は少ないだろう。


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/73/Porto-rite.jpg


26文字の鉛でできた文字ハンマーを、
指で叩いて、文字を印字していく。
パソコンのキーボードは、その名残だ。
キー配列を覚え、キーを叩くと、文字が印字される仕組み。
ちょうどパソコンとプリンターが一体化した装置と考えればいい。
一昔前のワープロ専用機(これも博物館いりかな)。


手書きの原稿用紙と同じで、タイプし損じると、初めから打ち直し。
数ページにわたる作業だと、1行抜けただけで、最初からだ。
マシン的には好きだったが、
何度となく打ち直す作業には閉口していた。
そういう時に紹介されたのが、便利なタイプライターだった。
その衝撃は、いまでも鮮明に覚えている。
彼女は自慢げにディスプレイを指さしながら、
タイプした文字を「コピペ」して見せた。
どうやらコンピューターという機械を使っているようだ。
漠然とコンピューターか...
といった印象が残った。


学習とコンピューターは自分のライフワークの一つでもある。
「学校にコンピューターを」の議論は、
波のように押しては返す動きの一つだ。
今回の政策で、どのような結果になるのか。
はっきりしているのは、
パソコンは使う人(ユーザー)以上に賢くならない、ということ。
パソコンを使えば人が賢くなるのではない。
あくまでも使う側の問題だということを、お忘れなく。