幸の反対

幸(しあわせ)の反対は、不幸(ふしあわせ)ではないと思った。
幸の反対は、「幸ではない」だ。
不幸の反対は、「不幸ではない」だろう。
似ているようで、異なる。
言葉遊びではない。
考えの「深さ」の問題だ。
幸でないけれど、「不幸ではない」こともある。
不幸ではないが、「幸」ではないことも。


「幸」だと自分が感じるか否か。
きわめて主観的だ。
自分が「幸」と感じれば、「幸」なのだ。
I am happy.
自分が、そう感じること。
これは条件つきではない。
いま、ここで、自分が感じているこころの状態だ。


ひとは感情の動物だという。
「しあわせ」と感じる。
理論的に「しあわせ」なんだと思うのではない。
「なぜ」ではない。
自分はなぜ幸なのだろう、と考えることはまれだ。
いま、在る状態で、「しあわせ」と感じる。
それだけのようだ。


○○があれば、××がなければ、ではないようだ。
いま、その時を、"happy" と感じればいい。
「わたしは、しあわせ」だから、
あらゆるものが、ことなる視点で見えてくる。
真に「あるがまま」に見えてくる。
幸不幸の条件フィルターにかけることなく。
ただ、「しあわせ」で在ればいい。
「しあわせ」だと、感じていればいい。
難しいが、どうやら生きることの極意のようだ。