視野を拡げる

生まれが多少周囲と異なる環境だったせいだろう、
小学校の高学年になると、自分は他の人と違うということを意識しだした。
その違いは、ほかの人にとっては理解できない存在であり、
その結果、「いじめ」を受けることに。
今でいう「イジメ」だが、当時はそれほど陰湿な響きはなかった。

一種の差別であり、排除の考えに基づくもので、
近寄るな、あっちへ行けといった感情が根底にあったのだと思う。
異質な存在が、自分たちより多少優れていたせいか、
やっかみにも似た、羨望も含めた感情が、
痛い視線となって飛び込んできた。
陸の孤島と言われ、二輪車しかないような片田舎での思い出だ。


小学校の低学年では、思いっきり暴れん坊で、
1階と2階の階段にある出窓から、飛び降りて叱られた記憶がある。
4年生のころからだろうか、自分が異質だと感じ始めたのは。
中学2年で、街へ引っ越した。
担任がかなり気を使ってくれて、わたしをほかの人と同じように接してくれた。
3年では、やはり同じような差別と遭遇。
内気な性格になり、引っ込み思案なまま、ひっそりといるのだが、
名前が原因なのか、いつでも目立ってしまう。
担任は、面倒くさそうに対応していた。


高校の3年間は灰色だ。それも黒に近い。
ほとんど楽しかった記憶がない。
なんとか、この暗闇を抜け出したい、そういう思いだった。
県外の大学も受験したが、受からず、地元の大学へ行くことに。
その大学は、学園闘争で封鎖状態。
ここでも、抜け出したいという想いは募(つの)った。


外へ出たい。なんとか抜け出したい。
これが日本脱出を試みた大きな動機だった。
狭くて、息苦しい。
鳥が大空を羽ばたくように、広く舞い上がってみたい。
その思いで台湾を訪ねた。19歳の時だ。
そして、2年後、アメリカへの放浪の旅へ。


母の病で日本に戻るまで、4年半くらいアメリカにいた。
アメリカは自由の国だと、思っていた。
異質なものが、ひっそりと住める国だとも。
出生に左右されることなく、思いっきり挑戦でき、
その成果を表すことができるところだと。


青春の一コマは、いずれまとめて記すことにして、
ここでは自分の行動を少し俯瞰(ふかん)したい。
なにを求めて旅に出たのだろう。
きっかけは、同質を求める文化に窒息しそうになり、
深呼吸をするための逃避行だったのかもしれない。
青い鳥を求めて、遠くアメリカの大地を目指した。
当時はソ連や中国、そして北朝鮮までも天国だとする、
共産主義」を信じる人がかなりいた。
アメリカは彼らにとって、帝国主義という諸悪の根源のような国だった。
ブッシュ前大統領が、イスラム諸国や北朝鮮悪の枢軸国と呼んだように。
わたしには受け入れがたい考えだったが。


視野を拡げる、見聞を広めるというフレーズが浮かんだ。
狭い見方で見たり、見られたり。
見る方も、見られる方も、自分の認識の範囲でしか理解できない。
異なる存在に対し、受容できず排他の論理が優先される。
「福は内、鬼は外」的な考え方だ。
福をもたらすものは取り入れる。
災いをもたらしそうなものは、外に出す。
外人(ガイジン)という呼称につながるものだろう。
日本人だから考えが狭い、ということではない。
異質なもの、遭遇したことのないものは理解が困難だ。
だから不安と恐怖心を持ち、排除の論理が出てくる。
これは誰もが持つ本能的なものだろうと、いまは考えることができる。


視野が狭いから、そうした考えにいたるのだろう。
知らない、わからない。
したがって、結果が想像できない。
そういうものは、要らない、入れない。
これが排除の論理につながり、差別に発展していったのでは。
力があれば、強制的に排除できるが、
庶民にとっては、多人数でいじめつつ、追い出す。
それができなければ、存在は認めるが、村八分状態にする。
せめてもの抵抗だったのかもしれない。
そう考えると、自分が受けた少年期の体験が理解できる。
いま問題になっている「イジメ」とは多少ニュアンスが異なる。


ひとは旅に出たがる。
未知の世界を訪れようとする。
見聞を広めるために、ひとは旅する。
そう考えると、自分の青春時代にとった行動が理解できる。
視野の広い人間になりたい。
自分の器(うつわ)を大きくしたい。
こうした想いが、自分を旅へと誘(いざな)ったのだ。


ようやく、息子たちが旅に出たいという想いと、
自分の青春の想いが一致した。
次男は、いち早く気づき東南アジアを目指している。
狭い籠(かご)から、一日も早く飛び出そうと。
長男も自転車で日本を廻りたいと。
自分の認識、視野の狭さに気がつき、
なんとか拡げたいとする正直な気持ちの発露が、
彼らを旅へ誘っているのだろう。


青年は荒野をめざす、というフレーズがある。
ときどき思いだし、口ずさむ。
ドキッとするような内容もあるが、
未熟さに気づいた若者が、
自分の見聞、見識、視野を拡げようと、
あえて道もない、行く先さえわからない、
旅へでようとする気持ちを歌ったものだ。



青い鳥が自分の家にいるのだと気がつくまで、
ひとは青い鳥を探し続ける。
それでいいのだろう。
求める青い鳥は、ひとそれぞれだ。
アメリカで出会うひともあれば、東南アジアで、
あるいはアフリカで出会うひともいる。
そして、落ち着くところへひとは落ち着く。
それでいいのだろう。
これも、あるがまま、自然の成り行きということだ。
大きく羽ばたき、悔いのない人生を送ること。


これはすべての青年に送りたい、
わたしのメッセージだ。
ガ・ン・バ・レ(加油)!