牛をつくる

先日、NHK佐賀牛の紹介番組を見た。
生き物の生命をいただくという行為に、
さらにその生き物を「おいしい」と言いながら食べる行為に、
疲れを覚えつつ、番組を見ていた。
農家の主が、「牛をつくる」という言葉を使っていた。
さらに、良い牛と悪い牛があって、
自分はできるだけ良い牛をつくりたいと。
「つくる」という言葉に、どの漢字を使うか迷った。


彼の意識の中には、牛はつくるものという認識があるのだろう。
自分が牛をつくっている。
消費者から喜ばれる牛をつくっているんだ、という自負がある。
それはそれでいい。
彼がそう考えているということだ。


文法的に考えると、やはり不自然に思える。
牛って、つくるものなのだろうか。
この場合、漢字はどれを使えば良いのだろう。
 牛を「創」
 牛を「作」る
 牛を「造」る
なんだか彫刻でも作っているようで、
どれも、しっくりこない。


牛を育てる、というのが妥当だろう。
牛が成長していくのを見守る、手助けする。
人にできることは、寄り添い、見守ることだと思うのだが。


「つくる」と「そだてる」。
いま私たちが直面している根本的な問題が見えてくる。
人づくりという言葉もあるが、人は作れるのだろうか。
もしかしたら、人は何でも作ることができると錯覚しているのでは。
「神」さえも、人が作った概念だと考える人がいる。
「つくる」という考えの奥には、
現代人の思い上がった深層心理があるように感じる。