そろそろ中国語

気になっていた中国語の学び。
そろそろ、動き出すときのようだ。
電脳へのきっかけは、コンピュータで漢字を扱いたい。
アメリカで英文ワープロを見たとき、
とっさにひらめいた気持ちだ。
30数年の時を経て、
漢字が自由に扱えるようになったいま、
もう一度、原点に戻って考えてみたい。
そう考えていたら、今日のメールで以下の記述に出会った。

Q.今の中国には、もう基底文化が残っていないのではないか?


確かにそうであり、論語老子を知らない中国人ばかりになった。「文化大革命」という基底文化の大破壊が、あまりにも激しかったことが主因だろう。さらに「現代化」以降、欧米文化が激しい勢いで流入した。
 <中略>
台湾に伝えられた伝統文化が重要だ。略していない本来の漢字文化が台湾にある。中国の蘇生に、台湾が大いに貢献するときが来るものと思われる。
昨今、中国では民間レベルで「論語の見直し」が起こっているらしい。種火は残っているようだ。中国が中国に帰る日が、きっと来るものと期待している。
林英臣の元氣メール第484号

ぼんやりと考えていたことが、明確に指摘されている。
中国の古典を学び、
台湾で繁体字の中国語を学んだ。
そして、日本に戻り、中国本土で使われている簡体字を学び直した。
文字としてのセンスのなさに、失望した。
具体的な指摘は後にするが、
簡体字という、かなりいい加減なルールで、
繁体字を人為的に改編した文字には、
美しさを感じなかった。


さらに危惧したのが、簡体字しか知らない人々は、
自らの繁体字で書かれた、自らの古典を、
どのように受け継ぐのだろう、という事だった。
孔子孟子老子荘子といった、
キラ星のごとく輝く聖人の教えを、
いつ、どこで学ぶのか。


「流行」に左右されず、「不易」のテーマを、
簡体字の中から、どのように受け継ぐことができるのか。
ずっと考えていることだ。
そうした想いが、すこしずつだが見えてきている。