とても納得できる文章に出会った。
志ネットワークを主催されている、上甲晃さんのメルマガ
師ではなく、道を求める。
タオ(道)の教えである。
これこそが、日本人の原点かも知れない。

 日本の伝統的な宗教である「神道」は、『教』ではなく、『道』である。「『教』には、師匠がいて、テキストがある」。キリスト教にはイエスキリストという師匠がいて、聖書というテキストがある。
 一方、『道』には師匠がなく、テキストもないのである。事実、神道には、師匠に当たる教祖がいないし、また、体系的に教えを説いているテキストもない。
 松下政経塾は、常勤の先生を一人も置かなかった。当然、テキストもない。「自分で問題意識をもち、自分で考え、自分で苦労しながら、自分で答えをつかみなはれ」。
松下幸之助は、松下政経塾の教育の基本指針をそのように示した。
『道』の教育では、先生から学ぶのではなく、万事万物から学ぶのである。
→ 上甲晃塾長一日一語(成人の日)



志(こころざし)を新たにし、
進むべき道を、ひたすら歩む。
そのための道標(マイルストーン)として、
先に歩みながら、石(いし)を置いていく。
それが人生〜人が生きることだと思う。
人として、いかに生きるか。
その「人」と成るのが、今日の日だ。