情報倉庫

あふれる情報。
溜まる情報。
個人として必要な情報。
仕事上なくてはならない情報。
それぞれを、どこにしまうかで混乱する。

情報の一元化、
ずっと考えてきたし、
いまだに、考えている。
決め手がないまま。


断捨離ということで、
すべて捨ててしまえ、という考え方。
紙情報は不要で、ぜんぶスキャンし電子データにする人も。
情報整理に関する書物は、
永遠に売れ続けるのだろう。
あたかも、料理本が売られるのと同じように。


状況により、役割により、
必要となる情報は異なる。
その使い方も、ケースバイケースであり、
ほかの人のやり方は、
参考にはなっても、いざ実践すると途中で投げ出す。


情報耕房と銘打ったブログだが、
当初は、自分自身の日常のメモ程度に使っていた。
いつでも、どこでもネット環境さえあれば、
メモっておいて、後から振り返る。
まったく自分自身のための記録集だった。
ブログの語源は、Web logであり、
文字通り、Web上での雑記帳的な存在だったと認識している。


世間がそれを注目するところとなり、
ブログが、読ませるためのものへと変化した。
読み手を意識した書き込みに、変質していく過程があった。
実名を隠し、状況をぼかすことで、
個人情報的な内容を書かない努力。
多くの人へ、情報発信する流れが定着してきた。


個人の記録メモ的な要素から、
ほかの人から読まれる書き込みへの移行だ。
で、こまったのが個人メモの行き先だった。
具体的に、実名で、場所、時間などを、
明確に記しておかないと、
自分にとって必要な記録ではなくなる。
読み手が自分自身という、情報の保管場所で揺れている。


これまでも、数多くの手帳や電子デバイスなどを試してきた。
そのどれもが、いまだに定着していない。
A4用紙に書いたものをスキャンし、保存も試みた。
同じような内容を、
あちこちに、書き連ねている。
ある意味の、無限ループ的な状況が継続中だ。


情報化社会だと言われて久しい。
情報が価値を生む社会が到来し、
その中核になるのがコンピューターだとされ、
そのスキル習得にと、コンピューターを学んだ。


コンピューターって、何するもの?
授業の最初の問いかけだった。
そもそも、コンピューターってなんだろう。
むかしは電子計算機と言っていた。
計算する機械?
多くの人が疑問を持った。
さすがに、いまどき電子計算機という人はまれだろう。
では、何なのか。
その答えは、情報を処理する機械だ。
これに対しては、異論は少ないだろう。
最近では、電脳という言葉の方が相応しいとも思えるが。


情報を処理する機械。
で、情報化社会を生き抜くための道具となる。
だから、みんなワードをエクセルを覚えなさい...。
最後はこうした落ちになる。


コンピューターと付き合って、30年あまり。
やりたかったことは何なのか。
ときどき自問自答する。
何のためにコンピューターを使うのか。


突き詰めると、ここに戻ってくる。
自分は、何の目的で、コンピューターなんぞを使い始めたのか。
インターネットなどなかった時代だから、
WEBの利用などは、後付けの目的だ。
それより以前に、自分が思ったことは、
やはり情報の処理だったとの考えにいたる。


あふれる情報を、自分がコントロールしたい。
自分自身で、自分に必要な情報を、
いつでも、どこでも、取り出せる。
ドラえもん的には、どこでもドアが使える、
情報の倉庫が欲しかった。
そうした結論に行き着くのだ。


コンピューターを使う目的は、
自分自身が楽になりたいからだ。
怠け者の身としては、
面倒くさいことを極力廃することが、
至上命題だ。
手順をひとつでも少なくする。
そうすることで、
なにもしない時間を増やす。
そう、できるだけ予約のない時間を確保しておきたい。
なぜなら、
それが自由だから。


根源的なところで、こうした考えがあると思っている。
情報の倉庫。
その見直しを、再度始めなければ、
溜まった情報を前にして、
今度こそはと、考えている。