天網

「ザル」について考えていたら、
あるフレーズを思い出した。
天網恢々、疎にして漏らさず

インターネットは WWW と称さる。
それは世界に張り巡らされた、蜘蛛の巣という意味。
まさに、天網だ。


大きくあいた空間だが、
疎にして漏らさず。
あらゆるものが、引っかかってくる。
まさに、天が仕組んだ壮大な網だ。


「とき」と「ところ」に翻弄されながら生きている。
そのとき、そこで、起きた出来事を、
一つ一つ記憶していくと、
やがて、脳は悲鳴を上げてギブアップ。
オーバーフロー状態になる。


まさに垂れ流し状態。
壊れた蛇口のように、
思考はとまり、
意識が流れ出し、
放心状態になり、
やがて、行動する気力さえ失せてしまう。


防御策として、
ひとは忘れることを学んだ。
知らない、覚えていない、
「記憶にありません」と言うことで、
自分のメモリから消去する。
それはそれで、問題が解決することも多い。


だが、忘れてはならない情報もある。
自分の名前を思いだせないとしたら、
これはこれで、問題だ。


取捨選択。
自分に必要な情報の記憶。
そのためには、避けてはとおれない。
何を基準にして、保存、廃棄を決めるのか、
自分の中に、もの差しが必要になる。


断捨離というのも、同じような考えだろう。
捨てる、その前に、なにを残すのか、
自分の価値観の中から、選択しなければならない。


こうした、内なる基準を持つことは、
簡単ではない。
外側からみて、まねできるものではない。
尋ねて、答えがあるわけでもない。
最後は、その人の直感というか、センスというか、
感受性のようなものが決め手になる。


選択が良ければ、あの人のセンスは良いねとなり、
ちぐはぐだと、何考えているのだろうと。
当然、そう判断する側も、
同じようなセンスが問われるわけで、
判断自体も、それほど当てにはならないが。


情報の捉え方は、
まさしく天網的なやり方になるのだろう。
何をするでもなく、のんびりと、
天に張られた網だから、
引っかかるまいと思いつつ、
勝手気ままに行動していると、
いつかは、その網に捕らえられ、
天罰を受ける。


天罰があるかどうかは知らないが、
心構えとして、
こうした、あり方がクールだ。


生き方としては、「疎にして漏らさず」が理想。
大ざっぱなようだが、肝心なところは押さえる。
ボーッとしているようだが、いざとなれば決める。
どうでもいいことには、力まず、リラックスし、
ここぞというときは、全力を尽くす。


まさしく平常心。
「天網恢々、疎にして漏らさず」
情報処理の極意とみたのだが。