つぶやきと顔本

やはり、独り言をつぶやく方が気楽だ。
ずぼらな性格には、
いつでも、なんでも、すぐ書き込めるTwitterが性に合う。
髭をそったり、髪型や服装を整えたり、
見られることを意識したFaceBookは疲れてしまう。



TwitterFaceBookの相互投稿を止めた。
知らない方もいると思うので、簡単に記すと、
Twitterでつぶやいた内容が、自動的にFBのタイムラインに表示され、
FBでの書き込みも、自動的にTwitterに表示される仕組みだ。


気がつけば、文字中心の書き込みが延々と続く。
Twitterでは当然のことなのだが、
これがFBで表示されると、
写真が中心のFBに、なんとなく合わないと感じた。
自分が読むのなら構わないが、
友人にも、文字だけが、延々と表示されるのは、
写真など「いいね!」ボタンで、投稿された画面が、
見た目にも美しくないだろうとの判断だ。


Twitterは、つぶやきだ。
つぶやくとは、独り言。
いまの想い、いまの気持ちを文字にする。
誰彼(だれかれ)気にせず、はき出す言葉だ。
その言葉に、クレームつける人々もいるのだが、
だったら、フォローを切れば良いのにと思う。
さらには、論争みたいなことを仕掛ける人もいるが、
所詮、つぶやきなんだから、
「そうか、そういう考えもあるんだな。」くらいで、
流せば良いのにと思う。


ところが、こうした内容で書き込んでいたツイートが、
FBに表示され始めると、
ちょっと待てよ、となってしまった次第だ。
FBへの書き込みは、
「始めにイメージありき」的な要素が強いと感じている。
まずは写真などのイメージがあって、
そのイメージを共有することで、ゆるやかに繋がる。
美しい風景、
可愛い動物たち、
おいしかった料理、
自慢の一品などなど。
言葉よりイメージから始める場合が多い。


「はじめに言葉ありき」のTwitter
対して、「はじめにイメージありき」のFaceBook
こう考えると、両者の使い分けも少し見えてきた。
もちろん、あくまでも自分の感想であって、
創業者が意図しているかどうかは、わからない。
こうした認識に立つと、
両者は、競い合うものではなく、
共存して行くもの。
どちらを選ぶではなく、
それぞれを、どう使うかを考えれば良い。


いずれにしても、
「言葉 」と「イメージ」、
それぞれの手段を使って伝えるのは、
自分自身のメッセージ。
肝心なのは、その中身だ。
あたりまえの結論に、最後は到達する。
それぞれの特性を理解し、
さらなるパブリックの道を歩もうと、思いつつ。