これから

雇用体制の崩壊。
増える求職者、増えない求人。
雇用を通して、お金を稼ぎ、
稼いだお金で、生活を維持する。
人は、何のために生きるのか。



「人はパンのみに、生きるにあらず。」
聖書の中の一節だ。
では、人は何のために生きるのか。
あらためて、考えることが多くなってきた。


働くとは、どういうことか。
会社に就職することだけが、働くことなのか、
賃金を稼ぐことだけが、働くことなのか、
お金を稼ぐことだけが、生きるための目的なのか、
といった課題にたどり着く。


学校教育は、
会社で働くのに適した人を作り出す目的で、
20世紀はじめに考案されたシステムだと、
何かの本に書いてあった。
遅刻せず、欠席せず、
教師(先輩)の意見に従い、
与えられたことを、丁寧に、まじめに履修。
繰り返し学ぶことで、
標準化された企業戦士の予備軍となる。
望む企業に入社すると、
社内教育と称して、社内の規則が教え込まれ、
会社員として、まじめに働き、定年を迎える。


こうした雇用システムが機能していた間は、
日本は、世界がうらやむ安定した社会だった。
人々は、迷うことなく学校教育を受け、
一流の企業目指して、就職活動に励んでいれば良かった。


10数年、こうした雇用システムに不具合が発生。
バグ取り的に、手直しが繰り返されてきたが、
もはや、そういう付け焼き刃的な対応は不可能と見られる。
システムそのものを、入れ替えなければならない状況だ。
雇用だけではなく、生き方そのもの、
価値観、人生観までも、
入れ替えが問われているように感じる。


その問いかけが、
「何のために」ということだ。
生きる目的、働く目的、
人生そのものに関わる問いかけまでも、
再定義することが、求められている。


相談を業務としている身としては、
こうした問いかけに、「答え」を求められる。
応募できる企業がない人々に、
何をもって、応(こた)えれば良いのか。
「答え」を求められても、解答は出せない。
できることは、「応える」ことだけだ。
問われている課題の本質を考え、
その課題に対して、真摯に向き合うことで、
なんとか応じる。
これが現状である。


それでも、1年以上も失業状態の方々と向き合うには、
限界を感じている。
精神論的な励ましや慰めでは、
どうにもならない状況に来ている。


カウンセリングを越え、
コンサルタント
さらには、ナビゲートして、
その行き先を示し、
協働者として、共に歩むことさえも必要に。


こうした思いが、
もはや止められないとこまで来たようだ。
背中を強烈に押している力を、感じる。
機が熟し、やがて実るように、
次なる一歩が、動き出してきた。
流れに、共に流れて、
次なる地点を目指すときのようだ。
そのための具体案を、
これから作成することに、決めた。
新しい景色が見えてきた。