自然

ときどき巡ってくる、願望。
あるがままに、自然の流れの中で生きていきたい。
自然の営みの中で、
静かに、ゆったりと、時を過ごす。
農的暮らしを、してみたい。
晴耕雨読的な生き方。



もっとも、最近は本はあまり読まなくなったし、
自然農の不耕起というやり方にあこがれている。
とすれば、晴耕雨読ではなく、
晴遊雨茫のような生き方になるのかな。
晴れているときは、外で自然と戯(たわむ)れて、
雨が降ると、内で茫然としつつ、
ネットを彷徨(うろつ)くみたいな。


いずれにしても、大した目的を持つでもなく、
そこにいて、できることをやる、みたいな生き方だ。
基本になるのが、まずは自然環境。
都市住民から、農的暮らしへの移行を考えている。


山川草木。
木々の営み、
鳥のさえずり、
小川のせせらぎ、
生かされて生きる。
自然の中で、
じっくりと喜びの世界を、
実感しつつ生きていきたい。



昔から、ずっと憧れていた。
ようやくというか、
いよいよというか、
今度こそ、そこへ向けて歩き出そうと思っている。
これまでの経験から、
こうした想いは、かならず実現している。
しかるべき時に、しかるべき場所が、
やがて現れてくるのだろう。
意識して、決意して、
そのときを待っている。


自然の中で、
もう一度、自分の考えをゼロにして、
これからの人生を歩みたい。
この数週間、こうした想いが日に日に強くなる。
決まって思い出すのが、次の一節だ。

→ マタイによる福音書6章25節〜34節