季節は、秋(あき)だ。
八月の猛暑が嘘のように、冷えてきた。
「あき」について、考えている。
ふと、空(あき)という言葉がうかぶ。
「そら」とも読む。
さらに、空っぽのように、「から」とも。

空、ふしぎな言葉だ。
聖書の言葉に、
空の空、いっさいは空である」(伝道の書第12章1〜8節)
とある。
若いときに、何をするでもなく、
あてどもなく、彷徨っていたとき、世話になった。


何かをやっては、空(むな)しさを感じ、
「空の空、いっさいは空である」
と、つぶやいていた。
伝道の書という、旧約聖書の中の一節なのだが、
読むと、妙に安心感というか、
慰められたことを、思い出す。
自分の青春時代と、重なり、
ほろ苦い、それでいて、ホッとする言葉だ。


そして、次に思い出すのが
「色即是空
という言葉。
キリスト教の国で、生きていこうと考えていた。
母の死により、引き戻された感じで、
仏教の教えにひかれて、
たどりついたのが、この言葉。


台湾での、最後と決めた放浪の旅。
その旅先で、じっくりと味わった言葉だ。
拙い毛筆で、陽明山の古びた宿舎の壁に貼り付けていた。
30歳を過ぎ、放浪に終止符を打とうとの旅だった。
すべてが「空」だ。
自分自身に、そう言い聞かせながら、人生を考えた。


「空」
「くう」と読んでも良いし、
「から」でも、
「むなしい」でも構わない。
どれも、物事の本質を言い当てていて、
気持ちいい。


人生そのものが、夢であり、
最後は、消えてなくなる。
そう、
「空の空、いっさいは空である」に、
すべて凝縮されている。


ちっぽけな価値観とか、
つまらない妬みや偏見とか思い込み、
優越感や、劣等感。
すべてが、ひとのこころが作り出した幻想だ。
「空の空、いっさいは空である」
そう考えると、楽になる。
楽(らく)になれば、楽(たの)しくなる。
それでいいのだと思う。
天才バカボン、の世界だ。
秋の空は、
究極のバカボン・ワールドだと、
悟った、のだ!!