未来

5年後、10年後の姿が見えない。
いま、何をすれば良いのか、わからない...。
第三の波」って、知っている?
いや、聞いたことがない。

派遣の仕事を続けていたが、
やりたい職務がなくなり、退職。
いまは、焼き鳥屋でアルバイトをしながら過ごす。
テレビを見たり、ネットを見たり、
特別、何をするでもなく、時間が過ぎる。


いま、生きていて、これから進むべき目的地が見えない。
今のままではヤバイということは、わかるが。
視界が見えず、閉塞状態にある現状を、
行き先を探しながらも、進めず、停止。
次の一歩が踏め出せないでいる。


未来学者とか、知ってる?
始めて聞くといった顔で、わたしを見つめる。
そうか、トフラー氏とか知らない世代なのか。
そう思いつつ、
1980年頃の話を始めた。
ちょうど若者が、生まれた頃になる。
農業社会から工業社会、
さらに、情報社会へ移行している最中だ。


重厚長大型の企業、組織、体制から、
軽薄短小型社会へのシフト
ハードからソフトへの転換期だった。
組織も、社会も、家庭も、個人も、
これまでの価値観が大きく揺すぶられ、
新たな価値の創造を求められた時代のまっただ中に誕生。
教育そのものが変質していく中、
しっかりとした価値観や人生観を持つことなく大人に。


社会の要請に、求められるままに働き、
そのころ勢いがあった派遣という働き方を選択。
その勢いが削(そ)がれ、やがて失職。
別の働き方を問われ、止まってしまった。


当然だろう。
これまで頼りにしていた地図がなくなり、
新たな地図を頼りに、進まなければならないわけだから。
なにげに、いま賑わっている iOS 6 のMap(地図)とかぶる。
これまで利用していたものが、使えなくなり、
さてどうしよう、といったところだ。


「第三の波」が発表されて30年あまり、
時代は、ある意味、予測された流れで推移している。
したがって、「第三の波」的な考え方をしている者にとっては、
来たるべき社会が、到来したと考えるのだが、
知らない人たちにとっては、
これまで当たり前だった生き方が、
まったく通じなくなり、困惑し、立ち止まる、というのは、
当然のことなのかもしれない。


「第三の波」については、どれくらいの世代に共通認識があるのだろう。
わたしは、この本を台湾で読んだ記憶がある。
生まれが1950年だから、たしか32歳のときだったと思う。
「第三の波」については、当時、NHKテレビで特集があり、
それを見ていた。
アメリカで、コンピューターなるものに触れて、
これからは情報化社会が到来し、
その核になるのが、コンピューターだとの認識だった。
したがって、NHKの特集は、とても興奮して見ていた。
すごい、これから素晴らしい社会がやってくる。
そうした思いは、今でも変わらない。
30数年前の意識を持ち続けながら、生きている。


改めて、「第三の波」的な考えを伝える必要性を感じている。
当たり前だと思いながら、今日まで生きてきたが、
「第三の波」的な考えを、得ないまま生きている若者を見ていると、
伝えることの重要性を再認識させられる。
いろいろと、無謀な歩みができたのも、
到達する社会が、ある程度わかっていたからできた訳で。
ある種、海図というか、ロードマップ的なものが、
必要なのだろう。
どういう内容を準備すべきか、
楽しみながら、思案中だ。



→ 第三の波(抜粋)
→ アルビン・トフラーが語る「第三の波」と未来の富
→ 第三の波で何が変わったのか
→ アルビン・トフラー『第三の波』
→ アルビン・トフラー